お買い物と因縁・2


「何!? 悲鳴!?」

麗日が顔を青くして、心白も不安そうな顔をして俺の服を掴む。

ざわざわと嫌な喧騒が広がり始めて、俺は壁側に心白と麗日をよけさせた。なるべく二人の体を隠すようにしながら、通路側に立つ。

「なまえくん、敵?」
「さあ。よく見えない」

目を細めながら、声の聞こえたあたりをうかがってみるも、人だかりでよく見えない。

別に敵だけなら誰かヒーローがやるだろうけど、警察がいたりすると面倒くさいことになる。さっさと移動するのが吉か。

「とりあえず、ここから離れよう。麗日、はーちゃんと手つないでてやって」
「う、うん。はーちゃん」
「あ……お兄ちゃん、あれ!」

心白が指をさした場所から、大きな音が聞こえてくる。麗日と二人で勢いよく振り向くと、ひしゃげたエレベーターが見えた。
その前に立っているのは、コック姿の、片手が包丁という男。ランチラッシュを一瞬思い浮かべたが、似ても似つかない。

白い服の袖口に、赤いものが飛んでいる。
麗日が小さな悲鳴をあげ、心白を抱きしめた。パニックになりかけたらしい麗日の背を軽くたたいた。

「麗日落ち着け、あれ血じゃないよ」
「へ?」
「ケチャップだ」

切りかかられたのは男のようで、手に持った買い物袋で初撃を防いだらしい。その際に袖に飛んだようだ。
とはいえ、殺す気で切りかかったのに違いはないようだが。

「明あああ!!」

敵は大きく吼えると、再び男に切りかかる。男はそれを太い尻尾で防ぎ、隣で固まっていた女性を抱えて逃げ出した。方向は、俺たちのいる場所。むろん敵もそれを追いかける。

「待て! 明! そいつは誰だ!!」

体勢を低くさせた麗日と心白を壁に押し付け、通り過ぎるのを待とうとしたら、なぜかそれが気に食わなかったらしい。

敵はぐるりと方向転換すると、俺たちにまっすぐ向かってきた。ありえない展開に目を見開く。

「はあ!?」

「乳繰り合ってんじゃねえ、ガキども!!」

お前のせいだよ、とツッコミを入れたい気持ちを抑えながら、突き出されたそいつの腕をつかんで引く。後ろは壁だが、刺されたと思ったのか、一層高い悲鳴があたりから聞こえた。

少しだけ目測がずれ、俺の耳が若干切れて、それを見た心白も背後で悲鳴をあげる。

「なまえくん!」
「麗日、こいつ触れ!」

腕を押さえ込んだまま麗日に言う。
食堂のときみたいに、と続けると、理解したのか麗日は手を伸ばして、そいつの手に触れた。俺は無重力状態のそいつを、思いきり上に投げ上げる。浮き上がった敵は、高い天井にぶつかって止まった。

じたじたと暴れているが、下には降りてこられないようだ。

周囲から感嘆の声と拍手があふれ、ようやく張りつめていた空気が収まった。
後ろで麗日がずるずると座り込んで、安心したのか心白はしくしくと泣き出す。

「た、……助かったぁ……」
「ありがとな、麗日。はーちゃん、大丈夫だから泣くな」
「っく……ひっく……」
「大丈夫だよ、もう来ないから……そうだなまえくん耳!」
「ん? ああ、うん」

思い出したらじわじわと痛くなってきたけど、切り落とされたわけではない。かすり傷だ。
それよりも、面倒くさいことがある。
サイレンの音を聞いて、俺はため息をついた。


通報を受けた警察が集まってきて(ヒーローは遅れて登場したが、浮いている敵を確保するだけの簡単なお仕事をしていた)、ざわめきはだんだん収まっていった。

被害としてはエレベーターの損傷、逃げた男女のケチャップ、俺の耳というもの。百貨店としては損害だろうが、全体的には死者も出ない小さな事件だ。

あくまで世間にとっては、だが。

「それで? どうして君がここにいる?」
「買い物に来てたんですよ」

警察には、会いたくない人間がいた。

俺の父親が捕まってから今まで、ずっと俺に張り付いてきた男。
引っ越しても異動でついてくると言う粘着質男だ。

俺はいつも刑事さんと読んでいた。役職としてはそれより少し上らしいけど、知ったこっちゃない。名前すら口にしたくないからだ。
案の定、俺の言葉に疑いの目を向けてくる。

「買い物? 一体何を買っていた?」
「妹の服です」
「本当に?」
「レシートでも見せましょうか?」

財布からレシートを取り出してみせると、彼はじろりとそれを眺めてから不満そうに舌打ちをした。手帳に何事か書き込んでいる刑事に、後ろから青い制服姿の警察が声をかける。

「犯人確保いたしました! これより護送します!」
「ああ。ったく、面倒かけやがって。社会のガンが」

憎々し気な表情に、変わらないなと内心で唾を吐く。

見てのとおり、こいつは敵を「社会のガン」と言ってはばからない。敵の子供である俺なんかも、邪魔で邪魔で仕方ないわけだ。犯罪を犯したから敵と呼ばれるのだから、コイツの言うことにも一理あるが。

昔からずっと監視され続けて、小さいことでも目くじらを立てられ、まるで小姑である。何度か補導されたこともある。
俺が雄英に入学するときも、わざわざ抗議文を送ったらしい。

危機回避能力が高くなったのは、おそらくコイツのせいだ。

「……ああ、そうだ。お前も来い、指緒勘解小路」
「なんでですか?」
「いいから来い」

いやな笑みを浮かべてそう言う刑事に、後ろでやりとりを聞いていた麗日が抗議した。

「ちょ、ちょっと、おかしいです! なんで彼方くん連れていくんですか!?」
「ん?」

そこでようやく、彼は麗日の存在に気が付いたらしい。いつもながら、刑事として、その視野の狭さはどうなんだと思う。

「彼方くん、ケガまでして被害者なのに、どうしてですか!?」
「……君は、こいつの何かな? まさか彼女か?」
「友達です! それに、今そういう話じゃ、」
「友達、おめでたいな。こいつがどういう人間か知りもしないで」
「は!?」
「たかがガキが襲われて、その程度のケガですんだというのもおかしな話だ。なにがしか意図があって、あの敵と組んでいた可能性もある」

なあ、と俺を見る男に、嫌悪感しかわかない。

とんでもないこじつけだし、コイツもそんなことを本気で思ってはいない。敵の息子である俺を、どうにかして捕まえたいだけだ。ここで変に反抗しても面倒なだけだし、否定しつづけていれば、敵側からつながりを否定してくれる。

それで運がよかったなと捨て台詞を吐かれて解放されるのが毎回だ。

彼を無視して、叔父と叔母に連絡して心白を迎えに来てもらおうと、いつもの対応をとろうとしたとき。

「なまえくんはそんなことしません! おかしいですよ! ただのこじつけだし、第一なんの証拠もないじゃないですか!」

麗日が憤慨して食い下がる。
その言葉に、刑事だけでなく、俺まで固まってしまった。二人して彼女を凝視していると、麗日は自分が何か変なことでも言ったと思ったのか、おどおどと視線をさまよわせる。

沈黙を破ったのは、刑事の横に控えていた警察官だった。

「確保した男は、彼女たちをただ目についたから襲ったと……。それと、先ほど捕まった男の元恋人だという男性が」

警官のさししめす場所を見ると、さきほどケチャップを切られ、女性を抱えて逃げていた男性が、他の警察に話を聞かれている。
……男の元恋人が男性、というところにツッコミを入れるべきだろうか。いや、それは個人の自由か。

「……ちっ! 運がよかったな」

苦々しげにそんな捨て台詞を吐いて、刑事は踵を返し足早に歩いて行った。

ギャラリーも徐々にいなくなり、周囲にはヒーローが敵を捕まえたときのような、静かな興奮だけが満ちている。
心白と俺はぽかんとして、麗日を見つめていた。

「……」
「……わ、私何か変なこと言ったんかな?」
「あ、ううん。ごめん、つい。ありがと、麗日」
「うん……。それにしても、やな感じ、あの刑事さん!」
「ん……そーね」

ぷんぷんと膨れながら怒る彼女に、俺は何も言えずに頬をかいた。

雄英に入ってから、驚くことの目白押しだ。教師が小汚いアングラ系ヒーローだったり、除籍で脅かされたり、アホみたく強いクラスメイトがいたり。

俺のことを救けたり、庇ったりするもの好きまでいて。
もちろん、俺の父親のことを知らないからだとは思うけど。

買い物袋をぶら下げていた手を、小さな手がくいくいと引っ張る。視線を下におろすと、目のまわりを赤くした心白がいる。どうやら泣き止んだようだ。

「どした? はーちゃん」
「あのね……」

手招きをされてかがみこむと、心白は内緒話をするように俺の耳に口を近づけた。

「お茶子お姉ちゃん、すっごくやさしいおともだちだね。お兄ちゃんのこと、しんじてくれた。うれしい」

内緒話を終えると、心白はにぱっと可愛らしい笑顔を浮かべる。
俺がぽかんとしていると、麗日が笑顔の心白に気が付き、俺と同じようにそばにかがみこんだ。

「なになに? 何話してたの?」
「ないしょ!」
「ううー気になる! なまえくん、なんて?」
「や。もちが今残ってるのかなと」
「もち? ……ああ! タイムセールの時間来とる!」

携帯で時間を確認し、顔を青くさせる。なんやかんや時間を食ってしまった。布を買いに行く時間はもうないし、また今度になりそうだ。
そして、それよりも。

「じゃあもち買いに行くかー。俺も買うって言ったし」
「お願いします! 意外と死活問題なんだよー。あ、はーちゃん、手つなごっか?」
「うん!」

心白が嬉しそうに麗日の手を取り、歩き出す。あの刑事と会った後はいつも沈んでいる顔しか見られなかったから、今日は本当に珍しい。

俺のことを知らないから、庇ってくれただけだ。
それを何度も自分に言い聞かせながらも、頬が緩むのは抑えられなかった。
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