□傾かない天秤
(これの少し前の話)
「オールマイト好きなの?」
最初にそう言って話しかけてきてくれたのは彼のほうだ。
無個性で、ぱっとしたところもない僕は、当然のごとく友達も少なかった。中学には小学校のころからのクラスメイトも多くて、バカにされるのは相変わらず。
唯一そんなことをしなかったのは、1年生の9月、夏休み明けから入学してきたみょうじくんだった。聞いたところによると、彼のお父さんが転勤が多いらしく、家族ぐるみであちこち引っ越しているらしい。
僕が無個性だということを知っても、ヒーローになりたいということを知っても、そのために、到底レベルも釣り合わない雄英を目指していると知っても、絶対にバカにしたりしなかった。
それがうれしくて、ヒーロー、特にオールマイトのことを話せるのが楽しくて、僕は暇さえあればしょっちゅうみょうじくんのところへ行っていた。
そして、近づけば近づくほど、ついやってしまうのが彼の分析だった。
ある日、僕がノートを書いていたら、不思議そうな顔のみょうじくんがノートを覗き込んだ。
「緑谷、それ何書いてんの?」
「これ? ヒーローのことを書いて、自分なりに分析してるんだ」
「へー」
「みょうじくんのことも書いてるよ、ほら、ここのページ」
「うえ。俺別にヒーローじゃないのに、いいの?」
「もちろん! みょうじくんは、自分のことを大したやつじゃないっていうけど、僕はそんなことないと思うんだ。うまく言えないけど……」
「かなあ。でも、うん、ありがとう。うれしい」
自分のことが書かれたページを見て、みょうじくんは照れくさそうに笑っていた。
そういう顔を見るたびに、僕の心はぎゅうと締め付けられて、どくどくと大きく心臓が跳ねる。
ほかの人にはこんな風に笑わないんだぞと思うと、本当に飛び上がるくらい嬉しかった。
僕はみょうじくんが好きだった。
はっきりと自覚したわけじゃないけど、布が水を吸収するみたいに、その感情は自然に、そして突然に僕の中に居座った。
もちろん告白するつもりはなかった。
僕じゃうまくいきようもないし、何より、もっと大きな理由があったから。
みょうじくんはかっちゃんのことが好きだったんだ。
分析するということはつまり、その対象のことをまんべんなく観察して、そこから自分なりの解釈を加えるということ。みょうじくんのノートを書いていたら、すぐにわかった。
視線がいつもかっちゃんに向かうのも、かっちゃんに何を言われても怒らないのも、僕がかっちゃんにちょっかいをかけられたときに庇ってくれるのも。
「みょうじくんって、かっちゃんのこと好きなの?」
「…………」
ふとそんなことを聞いてしまったときは、彼は無言で僕の記憶を忘れさせた。
観察ノートを見て思い出して再び聞いたら、それも忘れさせられた。
確か3回目くらいで、ようやく認めたんだったと思う。
「もう緑谷の観察眼やだー。なんで分かったの」
「ご、ごめん、僕観察するの好きだから……。でも、なんでかっちゃんなの?」
歩きながら顔をおさえているみょうじくんに、純粋な好奇心で聞いてみる。たしかにすごいけど、性格はあの通りだし、みょうじくんは彼のいう「没個性のド底辺」だ。親切にしてもらったことなんてないだろう。むしろ酷い扱いしか受けていないはず。
まさか。
「も、……もしかしてそういう性癖、」
「緑谷、それ以上言ったら10年分くらい記憶忘れさせるから」
「いやいや冗談だよ! 答えたくないならいいし、その、本当にちょっと気になっただけで」
「あー、うん……。……と言われてもなあ。俺もよくわかんない」
心底不思議そうな顔をしているみょうじくん。
僕も10余年幼馴染をやっているけど、いまだにかっちゃんのことを好きになる人の気が知れないでいる。すごいやつだというのはわかっているんだけど。
そんなことをぽつりとつぶやいたら、彼は喉の奥で笑った。
「まあ、ここからどうなるもんでもないから。どうせいつか醒めるだろうし」
「あ、うん……」
「緑谷をダシにして爆豪との接点持ちたいとかじゃないから、心配しないでいいよ」
「うん。……えっ!?」
さらりと言われた言葉に顔が熱くなった。慌てて見上げたみょうじくんの顔はいつもどおりで、僕は少し混乱した。
「そりゃ爆豪のことは好きだけどさ。でも、例えば爆豪と緑谷が敵に捕まってたとしたら、俺は緑谷を助けるよ。助けられるかは不明だけど」
「……そっか。……ありがと、みょうじくん」
「いーえ」
彼の言葉は、純粋に嬉しいものだった。
だけど、それと同時に言いようのない虚しさも感じた。
彼にとって、僕は大事な存在だと思う。自惚れているのかもしれないけど、転校が多く、友人がそんなに作れなかったというみょうじくんにとって、僕は希少な存在だろう。それは、きっと自信を持っていいことだ。
でも、それは、友人としての感情。どう転んでも、そこから先へは行けない。
僕とかっちゃんが、という状況になったら僕を助ける、というのは、それが友達としての天秤だから。
もしもそれ以上の天秤だとしたら、彼は迷いなくかっちゃんを救けるだろう。
「……」
僕は、結局かっちゃんにはかなわないんだ。
鬱屈とした思いは、そう気づいたとき、ふと楽になった心地がした。
「だけど、僕は」
「ん?」
僕はきっと、僕が望む場所には立てない。
「もしみょうじくんとかっちゃんがピンチだったら、どっちも救けたいって思うよ」
だったらせめて、みょうじくんが僕に望む友人という場所に立っていたい。
無個性でできそこないの僕の言葉に、彼はバカにするでもなくあきれるでもなく、ただ笑った。
「緑谷らしい答えだね」
そう言って笑ってくれたら、僕はそれでいいから。
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