□ながいぜ名字
体力測定の第一種目、50m走。
スタートを切ったのはまじめ眼鏡こと飯田と、見るからにカエルっぽい女子の蛙吹。
飯田の足がやけに太いと思っていたら、個性「エンジン」の影響らしかった。走るには適した個性のようで、3秒という記録を出した。
蛙吹はそのものカエルのように跳ね、5秒台の記録。
除籍処分と聞いて、むろん全員が即納得したわけではない。憧れの学校に入って、入学初日に退学なんてごめんだ。
ただ、相澤先生はまたこうも言った。
「自然災害に大事故、そして身勝手な敵たち、いつどこから来るか分からない厄災、日本は理不尽にまみれてる。そういうピンチを覆していくのがヒーローだ」
こちらを挑発するみたいに指を立て、相澤先生は笑った。
「放課後マックで談笑したかったならお生憎、これから3年間雄英は全力で君たちに苦難を与え続ける。Plus Ultraさ。全力で乗り越えてこい」
この言葉でおそらく、全員覚悟が決まっただろう。
それに、よくよく考えれば、あのバカみたいな試験を突破して入学した生徒たちだ。今の時点でそれなりに実力はある。
それを体力測定の結果のみで振り落とすなんて、それこそ彼の言う合理主義にはそぐわない。そう言って鼓舞するつもりなんだろう。
……と、考えたいのだが。
「(めっちゃ見てるなぁ……)」
今しがた走り終えた、もさもさ頭のそばかす。
緑谷というらしいけど、さっきから一人だけ、顔を青くしているのだ。そして、相澤先生は彼をひたすら注視している。
……これは、除籍処分も嘘じゃないかもしれないな。
俺の心配をよそに、どんどん番号は進んでいき、あっという間に順番がやってくる。
「次、指緒勘解小路」
「はい」
俺の出席番号は21番、一番最後だ。俺の名前が呼ばれた途端、周囲がざわめいた。
毎度のことながら、少し恥ずかしい。
「え、おい今なんてった?」
「ゆびおかげ……え?」
「苗字めっちゃなげーな、あいつ……」
両親がいないので、今俺と心白は叔父と叔母の扶養になっている。二人ともいい人で不満なんてないけど、ただ一つ言うとすれば、名字がめちゃくちゃ長いことだ。
テストの時とか、何度キレそうになったことか。
クラウチングスタートの体勢を取って、スタートの音がしたらすぐに走り出す。
俺の個性じゃ50m走にはあんまり役立たない。
『5秒76』
機械の音声がそう告げ、50m走は終了した。
第2種目、握力。
これまた個性は使えず、普通に測定。中学よりは強くなったが、さして変わっていない。
かたや1.2tとかいう記録を出している女子がいる。八百万、だっけ。万力ってtも出るのか、すごいな。
ふと、近くにいたもさもさ頭が目に入る。
今日は気温も穏やかだというのに、汗をたらたらと流して、握力計を握っている。すでに計測は終わっているのに。
見かねて声をかけた。
「緑谷くーん」
「へっ!? あ、ぼ、僕!?」
「以外誰がいるんだよ。計測終わってるよ、次左手っしょ?」
「そ、そうだね、ほんとだ……。ありがと、う」
緑谷は記録を見て、それから俺のほうに顔を向けた。
途端、何やら変な顔をして俺の顔をじっと見る。
もしや父親のことを知っているのかと、背中に冷たいものが走った。俺の顔はうんざりするほどあいつに似ている。
固まりかけた表情筋を無理やり動かし、笑顔を作った。
「俺の顔がどうかした?」
指をさして聞くと、緑谷ははっとして、慌てて腕をぶんぶんと振り回した。
「あ、ごごごごめん! その、髪結んでるから、一瞬女子かと思って……」
「あー、これかぁ。つか、逆に女子だったらやばいよ、ガン見しちゃ」
「だよね、うん……。教えてくれてありがとう」
難しい顔をして左手を測っているのを見ながら、俺はそっと顔をそっぽに向けた。
緑谷はああ言っていたけど、なんとなく引っかかる物はあったのかもしれない。
熱心なオールマイトのファンなら、敵の情報まで知っている可能性がある。まあそこまでのオタクはさすがにいないだろうけど。
握力でも俺の個性はあまり使えないので、さっくり測ってさっくり終了。人のことを気にしている場合じゃない、俺もこの後の種目で記録を出さなくては。
第3種目、立ち幅跳び。
ここでようやく記録らしい記録を出すことができた。
俺の個性は「パペット」、人形を操ることができる。大きさもある程度ならば調整できるというもの。
心白お手製の小さいぬいぐるみを3mくらいに大きくして、横にセット。
「なんだあれ! ぬいぐるみ……か?」
「ぬいぐるみってか、アレって何の動物なの? ……み、ミジンコ?」
ミジンコだと?
「どう見てもクマだろ!」
「どこをどう見ればいいのかわからないわ」
思わず反論したら、カエル女子・蛙吹にそう言い返されてしまった。
……うん、まあ、あの子センスが若干特殊だし、裁縫あんまり得意じゃないからね……。
一回飛んで、片手でぬいぐるみの腕に飛びつく。
そしてもう片方の手でぬいぐるみを操って、俺を抱えさせたまま前進した。
腕が疲れるまでそうやって進んだので、結果はグラウンドの端までの距離。ぐるぐる回っていいならもっと伸びていたな。
この種目だと、俺が1位のようだ。
反復横飛びはこれまた普通に行って、次はボール投げ。
相澤先生に対して異議を唱えていた女子生徒が投げたボールは、個性の影響でぐんぐん上昇していき、最終的に見えなくなった。
先生が差し出した端末には、ただ一文字。
「∞!!? すげえ!! ∞が出たぞー!!」
「ボール投げで∞とか初めて見た……」
いや、感心してる場合じゃない。
どうしようか、ボール投げ。鳥の形の人形があればよかったけど、今日は持っていないし。さすがに人形に運ばせるのはアウトだろうしな。
やり口を考えていたら、また緑谷の姿が目に入った。
さっきよりもなお顔色が青くなっている。確かに、いまのところ目立った記録もないし、このままじゃ最下位だ。
「次、緑谷」
名前を呼ばれて、緑谷が肩を震わせる。
ボールを渡されて、俯きながら円の中に入っていった。
「緑谷くんはこのままだとマズいぞ……?」
「ったりめーだ、無個性のザコだぞ!」
「無個性!? 彼が入学時に何を為したか知らんのか!?」
「はァ?」
飯田と爆豪が言い争っているのを聞いて、俺はそちらに顔を向けた。
「何、緑谷ってなんかやったの?」
「ああ。概要を説明してくれた先生が、試験会場にギミックがあると言っていただろう? 彼はそれを、」
教えてくれようとした飯田の言葉を遮るみたいに、間抜けたぽとん、という音が響く。
大きく振りかぶった状態の緑谷と、50mほど先に落ちたボール。機械の声が「46m」と無機質に告げた。
「な……今、確かに使おうって……」
「個性を消した」
怒りのこもった声。
気が付けば、相澤先生の首に巻かれていた布がはらはらと解けて、髪の毛が大きく逆立っていた。
「つくづくあの入試は、合理性に欠くよ。お前のような奴も入学出来てしまう」
地を這うような低い声に、俺はようやく、あの「除籍処分」が本当なのだと理解した。
「お兄ちゃんおそいねえ……」
「ね。今日ってガイダンスとかだけじゃないのかしらね? 授業やってるの?」
「さあ? だけど自由な校風って言うからね。授業やってる可能性もあるよ」
「じゅぎょう! お兄ちゃん、わたしが作ったお人形使ってくれてるかな?」
「きっと使ってるわよー。あの子シスコンだから。さて、もう一品増やしますか!」
「心白ちゃん、それまでパパと絵本読んでようか」
「うん!」
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