泣きたくなるような声


さほど露骨ではありませんが暴力表現注意。



「ねえみょうじさん、あの女誰?」
「あの女?」
犬飼が来るなり口にした言葉に、俺は首を傾げた。


いつものように犬飼が来たと思ったら、今日は少し事情が違ったようだった。

俺の背中には壁、目の前には犬飼。いささか既視感のある壁ドン状態に戸惑っていたら、突然のあの女発言である。
女、と言われても。
記憶をさらってみるが、それらしき人間と話した覚えがない。強いて言えば、加古が新作チャーハンを勧めてきたので「やばすぎて昇天するから無理」と曖昧な言い方で断ったくらいか。ちなみに代わりに堤が食べていた。合掌。

いや、今はそれはどうでもいいんだった。

「女って、そんな覚えはないぞ」
「嘘つき。話してたじゃん。横断歩道で。モデルみたいにスタイルいい人と」
「はあ?」

モデル、モデルか。やっぱり加古しか思いつかない。
だけど横断歩道と聞いて、ふと懐かしい人間に会っていたのを思い出した。もしかして、あの人か?

「あれは、」
「あーいう女って、絶対裏あるよ。やめといた方がいいよ」

食い気味に、犬飼がそんなことを言う。

「見た目いいと、何でも許されるって思ってるバカ女とかいるから。みょうじさんああいう人じゃなくて、もっと大人しそうな人のほうがいいんじゃない?」
「おい。勝手に決めるな」

あんまりな言い方に思わず眉をしかめる。俺とほぼ同じ位置にある顔と目を合わせると、珍しく真顔の犬飼がいた。
不穏なものを感じたが、構わず言葉をつづけた。

「あの人はそんなバカじゃない。まあある意味バカだけど、今のお前みたいに人を見た目で判断したりしない。それに、一途だし」
「はあ? 俺が一途じゃないみたいな言い方やめてよ。俺だって二宮さん一筋でしょ?」
「だったらどうして俺と寝てるんだ。それが一途な人間のすることか?」

言った途端に、犬飼の顔からすっと色が消えた。
言ってしまった、とすぐ後悔した。

ここのところ暴力を振るわれなかったから、少しいい気になっていたのかもしれない。例え正論であっても踏み込んではいけないところに、俺は足を踏みいれてしまったのだ。

だけど、いい機会かもしれない。

こんな関係は、絶対に犬飼のためによくない。

お互いに感情がないならまだしも、俺が彼に一方的に好意を抱いてしまった今、いつか重荷になるかもしれない。俺にとっても、犬飼にとっても。
それなら、いっそ、まだ抑えていられるうちに。

「お前のしてることは矛盾ばっかりだ。二宮がいいなら二宮に言え。俺のところに来るな」

そう口にした数秒後、頬がかっと熱くなった。眼鏡が飛んで、かしゃんと乾いた音を立てる。死刑執行のギロチンのようだと思った。

胸ぐらをつかまれ、床に引きずり倒される。眼鏡がないから、犬飼の顔がよく見えない。

「ねえ、みょうじさん」

腹の上に犬飼が乗る。俺の髪を掴んで持ち上げ、顔を近づけて、彼は聞いた。

「それ、ずっと思ってたの? いっつも? ずっと? ……来るなって?」

声が痛くて、耳をふさいでしまいたかった。

だけど口は勝手に動く。

「……ずっと思ってたよ」

すう、と心のどこかが冷えたような気がした。

「ああ、そう」

ゆっくりと頭が床に下ろされる。犬飼の手はまだ俺の頭を掴んでいて、その手が、固い床に軋むほど頭を押し付ける。頭の痛みと胸の痛みに顔をしかめた。

ぶちぶちと髪の毛が抜ける音。
腕を振りかぶる犬飼の顔は、気のせいか、泣いて見えた。見えるはずがないのに。

「むかつく」

これまた聞いた覚えのある言葉とともに、久しぶりの暴力が開始された。

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