□まだ、ほんのりやさしい
暴力表現注意
今日は一段と不機嫌のようだった。
理由も喋らず、突然家に来たと思ったら、玄関に引き倒され、そこからは一方的な暴力。
なんでなんでと喚きながら、俺の顔を殴って腕を殴って、首をしめて。
なんでというのは俺が聞きたいのだが、さすがにこんな錯乱状態の人間に突っ込む勇気はない。
ようやく収まった頃には、眼鏡は壊れるわ鼻血は止まらないわ、最悪な状況だった。
「はぁッ、はぁッ……は、ふー……」
「……げほっ」
「あー……ごめん、みょうじさん。やりすぎちゃった」
てへ、と語尾につきそうなほど軽く、犬飼が謝る。謝る気なんて欠片もないのは分かっているが、もう少し誠意をこめられないものか。無理か。
笑いながら俺を起こして、肩に担ぐと、犬飼はそのまま寝室へ向かい始めた。……まさかこのまま始める気じゃないだろうな。
「……おい……」
「あ、ダイジョブだいじょぶ、さすがにやんないから。ちょーっと手加減忘れちゃったし、お詫びに手当てしたげるよ」
「…………」
「ごめんってば」
部屋のドアを開け、犬飼はベッドに俺を下ろした。重病人なわけではないが、頭を殴られたせいかくらくらする。
眼鏡がないせいで顔があいまいだが、やはりいつも通りの笑みを浮かべているようだ。
救急箱の場所を聞かれたので、テレビ台の下だと教えた。
いなくなった犬飼にため息をついて、ベッドサイドからティッシュの箱を取る。体を起こすとまだくらくらしたが、ベッドを汚したくはないので鼻にティッシュを詰めた。
しばらくして、犬飼が戻ってくる。俺の姿を見て吹き出したが、誰のせいだと思っているのか。
「なんだっけ、最初に消毒すればいいの?」
「不安だから俺がやる。……っつ」
手を伸ばすとそれだけで痛かった。多少は悪いと思っているのか、そんな格好を見て気まずそうにしている。
何度も言ったことだが、だったらやらなければいいのに。
殴られて切れた頬をガーゼでぬぐい、絆創膏を貼る。しめられた首には爪が食い込んだのか、ちょうど10個分の傷ができていた。そっちも同じように処置をして、口の中はここ最近の常備薬である軟膏を塗りつけた。
ようやくひと心地ついてから、スペアの眼鏡をかける。そしてベッドに座ってこちらをうかがっていた犬飼に話しかけた。
「で、今回はどうしたんだ」
「え?」
「何かあったんだろ。なんでなんでって言ってたし」
犬飼はきょとんとした顔をした後に、笑顔を浮かべた。
しかし、いつものあの人を食ったような笑顔ではない(これは俺限定である、嬉しくない)。痛みをこらえているような、そんな顔だった。
「……聞いてくれんの?」
「前に聞かなかったら怒っただろうに」
「あは、そうだっけ。……みょうじさんてさ、優しいよね」
「は?」
いきなり何を言うのか。手元の薬箱に使ったものをしまっていたのに、思わず消毒薬を取り落した。それを拾ってこちらに手渡しながら、犬飼は目を伏せて続ける。
「だって、俺結構アレなのに、付き合ってくれてるし。二宮さんに言っちゃえばおしまいなのに言わないし」
「……それは」
お前が脅すから。
「俺もさあ。……みょうじさんみたいな人、好きになればよかったのに」
珍しく、こちらに体を預けてくる。手をどうしていいか迷って、結局背中に置いた。
それは、俺だって。
「……お前のこと、本気で嫌いになれればよかったのに」
迷子のようなその目を見ると、どうしても許してしまいたくなるのだ。
いっそ嫌えたなら、こんなことにもならなかっただろうに。
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