□瞳だけでも、振り向いて
「二宮は恋愛ってしたことあるか?」
「なんだ、藪から棒に」
何を考えているのか、相変わらず相手に悟らせない表情でみょうじが尋ねてきた。
ただでさえ分かりづらいのに、最近は風邪気味だとかでいつもマスクをしているため、面白がっているのか不満なのかすらもわからない。
「……何回かはある」
「成就したのか?」
「聞くな。そもそも、なんでいきなりそんなこと聞くんだ」
「最近巻き込まれてな」
俺が出撃していた分のプリントをファイルごとこちらによこすみょうじは、心なしか声が疲れていた。
それにしてもみょうじが、恋愛事に巻き込まれるとはどういったことだろうか。
危機回避能力が高いみょうじは、滅多にトラブルには巻き込まれない。ちょっと関わって観察し、し終えたらさっさといなくなる。そして小説を書くまでが一つのルーティンだ。
そんな人間が巻き込まれる恋愛事とは一体何なのか、少し興味がある。
「誰だ? 俺も知ってる奴か?」
「……そうだな」
「年は?」
「……下かな」
質問を繰り返すごとにみょうじの目が死んでいく。なんとはなしに、責められているような気がした。ひとまずそれは黙殺し、俺が知っていて年下の人間、そして恋煩いをしそうな人間。
ざざっと人脈を思い返してみたが、それらしき人間は浮かばない。大学かボーダーか聞いたらボーダーだと答えられたので、ならばと手あたり次第名前を挙げたが、全て違うと切られた。
「本当にいるのか? もう浮かばないぞ」
「ああ。……けど、わからない」
「何がだ?」
「いや、そいつはな。完全に見込みがないけどそれでも好きなんだと。普通、見込みがなければ、あきらめて次行かないか?」
「相手がいるのか? その、お前を巻き込んだヤツが好きな人は」
「いないな。けど成就しないだろうことは俺もわかるんだよ。第三者から見てもダメで、自分もだめだとわかってるのに、なんで好きなんだろうな」
「ふむ……」
20歳の男子大学生が、何を恋愛について難しい顔をして語り合っているのだろうか。一瞬そんな問いが頭をもたげたが、やはり黙殺した。
それよりも、意外なことがある。
みょうじについてだ。
「意外と人の心がわからないんだな。お前は」
「そうか?」
「脈がない、絶対にかなわないと知っていても、そんなの抑えられるもんじゃない。相手にその気がなくても、目が合っただけで満たされる奴はいるだろう」
「二宮みたいな?」
「今からランク戦するか?」
根こそぎポイントを無くしてやろうかと脅すと、みょうじは両手をあげて降参のポーズを取った。無論、そんなつもりはないのだが。
目が合っただけで満たされる、ねえと訝しげにつぶやいているみょうじに、写し終えたプリントを返す。
思考を中断したのかすでにまとまったのか、みょうじは一つため息をついてそれを受け取った。
そして、ふと思い出したように、とある話題を振ってきた。
「二宮はこんな話知ってるか」
「? なんだ」
「外科医者が、救急で運ばれてきた男と、その息子を見て、自分にはこの手術はできないと言った。さあ何故だ、っていう」
「……知らんが……。医者が女で、その二人は家族だったから、か?」
「そう。先入観を利用したんだな。外科は男がやるっていう固定概念もあるが」
「それがどうかしたのか? 話がつかめないんだが」
「いや……。何事も先入観は大敵だなと思っただけだよ。……あと二宮、話しかけられた時、返事だけして相手を見ないのは直したほうがいいと思うぞ」
「???」
意味深なことを言って、みょうじは疲れたように目を閉じた。
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