□楽しいということ
ベンチに座らせた二人をおいて、医務室から湿布と絆創膏をもらって再び彼らの元へ。
今度は可視状態でいると、さっそく影浦がかみついてきた。
「みょうじテメー、いい加減にしろ! しょっちゅう水さしやがって!」
「こっちだってめんどいわ。通路でやんなよ邪魔だよ。北添も」
「ごめーん、つい熱くなって」
てへ、と人好きのする笑顔で手を合わせる北添にため息をつき、湿布と絆創膏を渡す。影浦に殴られたところが真っ赤になっていた。
同じく影浦に渡そうとしたら顔を背けられたので、仕方なく湿布のフィルムをぺりぺりとはがす。
この二人は、わりと最近ボーダーに入ってきた。影浦は中学で同じクラス、北添は隣のクラスなのだが、相性がいいのか悪いのか、しょっちゅう殴り合いをしている。
迷惑のかからないところでやっているのならまだしも、さっきのように通路で殴り合ったりするので、その場合は注意される前に僕が止めている。放っておいても止めろと連絡が来る。なんたる理不尽だろうか。
同年代ってだけで。
「二人とも任務?」
「いでっ」
「そうだよー。ゾエさんは7時からなんだけど、またノート借りてもいい?」
「いいよ」
影浦の頬に湿布をはりつけ、今度は絆創膏のフィルムを外す。北添とは選択授業が同じなので、ノートの貸し借りは頻繁だ。
貸したノートには、時折アメやポッキーが挟まっていたりする。
絆創膏を手に影浦の顔に寄るも、不機嫌そうに俯いているせいで貼れない。
「影浦、ちょっと顔あげて。貼りづらい」
「貼んなくていいっつんだよ」
「じゃあ僕の見てないところで殴り合いしろや」
頭を掴んで顔を上げさせると、赤い血が滲んでいる口の端に絆創膏をはる。
どうせ後で嫌がって外してしまうのだろうが、血が止まるまではつけておいてもらおう。
ごみをくしゃくしゃとまとめていると、北添が「ねえねえ」と話しかけてきた。
「あれさ、さっきの仕事人って知ってる? なまえのあだ名」
「あー、必殺仕事人」
「ちょっと……どこまで広まってんの……」
迅はいつかぶん殴る。
陰から現れて刺すから仕事人、だなんて安直すぎるだろうに、妙に定着してきてしまっている。
生身でいる僕の姿がトリオン体には見えないからというのもそれに拍車をかけているのか、なかなか広まっているようだ。
「でも、不思議だよね、透過体質。カゲのSEと全然違うし」
「気安く呼ぶなデブ」
「カゲー、口悪いよ。ほら、迅さんのとかカゲのとかって、どっちかって言えば自己申告でしょ。なまえのはぱっと見てわかるやつだよね」
「あー……まぁ、確かにね」
ゴミを捨てながら、適当に相槌を打つ。
言われてみれば少しジャンルの違うSEな気がするが、『私』が読んでいたのは確か、5、6巻あたりくらいまでなので、それ以降は似たようなSEが出ているのだろうか。
ふと、壁にかかったモニターの時間を見て、目を見開く。
「もう6時過ぎじゃん! 1時間しか寝れない!」
「あ、そっかなまえこれから学校かー。頑張ってね」
「そののほほん顔が今は最高にムカつくわ。……いいや、寝てこよ。じゃあね」
「ばいばーい」
北添に手を振られ、影浦に中指を立てられながらその場を立ち去った。
ふわ、とあくびをしながら、また仮眠室へと向かう。ほとんど寝られないが、徹夜よりはましだろう。学校が終わったら、確かまた夜のシフトが入っていたはず。
空いていた部屋に入り、固めのベッドに転がると、ようやく息をつく。
トリガーを解除して枕元に置き、毛布を体の半分ほどにかけた。ああ、宿題やってないやと気が付いたものの、起きる気にはなれなかった。
ボーダーに入って近界民と戦うなんて、できるわけがないと思っていた。
だって『私』はただのいち社会人で、別に特別な才能もない。柔道とか剣道とか、そんな武術を習っていたわけではない(ボーダーに入ってからは多少鍛えてはいる)。
それが今や、だ。
「……なんだかなあ」
なんとなく、悔しいというか、変な意地で認めないようにしていたけれど。
鍛えたら、訓練したら、練習したら、それがきちんと反映される。
やや卑怯とはいえ、自分の戦闘スタイルができた。
軽口を叩く友人や、手のかかるクラスメイトができた。
ごろりとベッドの上で寝返りを打つ。真白な壁が目の前を覆った。
忙しいし、相変わらず近界民は気持ち悪い造形だし、母親とはまだ冷戦状態だけど。
「……」
少しだけ、楽しい。
携帯が震える音で目が覚める。手を伸ばして画面を見ると、7時30分と表示されている。あんまり寝た気がしないが、早く起きなければ。
軽くシャワーを浴びて朝食を摂って、余裕があれば昼食を途中で買って。
そんな算段を立てながら起き上がると、背中で何かが動く気配がした。
そうだ、寝る前、部屋のロックかけてなかった。さあっと血の気が引いて、反射的にその物体から距離を取る。
おそるおそる、毛布をめくり、その顔を確認する。そのとたん、一気に脱力した。
「迅かよ……」
勝手にベッドにもぐりこんで、安らかな寝息を立てているのは迅だった。
用事あるとか言ってたくせに、それは終わったのだろうか。いやそうじゃなくて、なんでわざわざ僕の仮眠室に来たのだろう。生身なら見えるはずなのに。
仕方なく、迅を起こさないようにベッドを降りる。そのまま放置しようか悩んだが、結局ずり落ちていた毛布を引き上げてやった。
年下に世話焼かせんなよ。確かに色々含めれば、僕の方が年上だけど。
少しよれた髪の毛を撫でつけてやって、僕は眠気を覚ますべく、大浴場へと向かった。
結局全然寝たりなくて、授業では寝まくったのは秘密である。
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