□妹さん、行動する
人は死んだら、そこで終了。
と、そこまではドライではなかったけれど、死んだらば大好きな人たちに会えなくなる、というのは思っていた。
それは半分正解で、半分はずれだった。
ポルターガイストだとかで多少影響を与えることはできる。だけど、映画のような、例えば机やいすが空を飛ぶとかそんなことはできない。せいぜいコップを揺らしたり、ペンや消しゴムを落としたり、そんな地味なこと。
それにその一度だけでもものすごく疲れてしまうから、連続ではできない。だから、気にしない人は全く気にしない。
大好きな人に会うことはできる。だけど、気づいてもらえない。
それが死んだ後の感想だった。
二人が一緒にいることがなくなって、私も最近なんだか体が重い。
いや物理的には0キロなんだけど。動くのが怠いというか、何をするにも億劫で、あれだけ偏執的に追いかけていたBLにも興味が持てなくなってしまった。
いつも薄もやがかかったような頭を抱えて、私にできることはただ、兄と迅さんの行く末を見守る事だけ。私がどれだけやきもきしたって、まったく意味がないことだ。
気付いてさえもらえない私は、何一つ、彼らのためになることはできない。
こんなに苦しくなるなら出会わなければよかったなんていう歌があるが、まさにそれだ。もしも彼らを見つけなければ、兄を探そうなどと思わなければ、自分の無力感に苛まれることなどなかった。
幽霊としてのんびりふわふわして、いずれ時期が来たら自然と消える。それが三日後か三年後か三〇年後か、それとも三〇〇年後かわからないまま、けれどそこそこのんびりできただろう。
消えるその時まで。
そんなことを思ったところでもう遅い。
今日も大きな化け物と戦って、片腕を失くす兄。
その背中を見ながら、とうとう私は決めた。
ふわりと宙に浮き、一直線に玉狛、迅さんの部屋に向かった。
壁をすり抜けて入ると、彼はベッドに座って、何やら書類を整理している。そんなことより兄を探せよと思うが今はまあ勘弁しておいてやろう。すぐそんな余裕もなくなる。
なんか攻めっぽい台詞だ。
これからこの部屋で、ポルターガイストを起こす。
行く先々で怪奇現象を起こし、うまーく誘導する。もちろん、兄の元へ。
そもそも二人とも、言葉が足りていないのだ。自分の考えで相手の気持ちを推し量って迷走している。それは思いやりとも言うが、この場合においてはただの自分勝手だ。
だから私が、持てる限りの力を持って二人を強制的に引き合わせて話し合いをさせる。今まで最大がマグカップくらいしか動かしたことがないけれど、頑張ればベッドくらいいける。気がする。
まずは手始めに、この大量のぼんち揚げの箱だ。なんでこんな買ってんのこの人。
さあ行くぞと、構えを取ったその時、大きな音を立てて扉が開いた。
(ほぁ―――!?)
乙女ではない叫び声をあげつつ、音の方向を見ると、そこに仁王立ちしていたのは「とりまる」だった。
「うぉ……なんだ、京介か……」
迅さんも驚いたらしく、心臓をおさえている。しかし、そんな様子に頓着することなく、また謝ることもなく「とりまる」はきろりと涼やかな目元を迅さんに向けた。
「迅さん」
「な、何?」
「知ってますか、最近みょうじさんがまた弧月を使い始めたそうですよ」
「へ?」
「毎回腕や足飛ばして、任務が終わったら必ずトリオン体直さないといけないとか」
「う、うん」
「そのうち生身の体のことも軽く考えそうですよね」
一方的にそれだけを言うと、「とりまる」はどこか羨ましそうに彼を見て、部屋から出ていった。無駄に力んだポーズの私と、座ったまま固まる迅さんが残される。
迅さんはすぐに立ち上がったが、歩こうとした足はすぐに床に下ろされる。私はといえば、「とりまる」の見せた表情の意味に気が付き、戦慄していた。
気が付いたというか、ただの(腐った)女のカンだが、もしかしてあの人は兄のことが好きだったんじゃないだろうか。
もしもそうだとしたら、スポーツマン系の木村さんに加え、正統派イケメンのとりまるさんも虜だなんて、兄モッテモテだな!! 男にだけど!!
と、兄の謎の魅力におののいている間、迅さんは物思いに沈んでいた。
だが、やがて何かを決意したように顔をあげると、あわただしく上着を羽織る。私も我に返り、ぼんち揚げの箱ではなく、机の上にある兄のピアスをポルった(ポルターガイストの動詞形だ。今考えた)。
少し角度を変えただけだが、小さな袋の中のピアスは電気の光を反射して赤く煌めく。
迅さんははっとしたようにピアスを手に取り、ポケットに入れて部屋を出ていった。消し忘れの電気はスイッチをポルって消してあげて、大きく深呼吸した。
ひとまずは第一段階完了だ。はからずも「とりまる」に助けてもらったけれど、結果オーライ。
さあそして、次は兄だ。
決意もあらたに、私は再び兄の元へ向かった。
拠点にしているボーダーの本部の部屋に行くと、果たしてそこに兄はいた。
部屋にしつらえられた簡素なローテーブルの前に座り、何やら頭を抱えている。
ベッドの上には新品のルーズリーフが山となり、周囲にはぐしゃぐしゃのそれが散乱している。そんでもってなぜか髪が濡れているのだが、お風呂にでも入ってきたのだろうか。
まあそれはこの際気にしないで、何をしているのだろうと手元を覗き込んだ。
前とは比べ物にならないくらいきれいな字が、ずらずらと罫線の間に並んでいる。
その内容に目を通してみると。
『迅は悪くないと思います。きっと僕が悪かったんです。ごめんなさい』
(アホか――!!)
思わずボールペンをポルってしまった。書き損じた紙は再びぐしゃぐしゃと丸められ、新たな紙が机の上に引っ張り出される。
衝撃的な文章に面食らったが、兄もまた迅さんと向き合おうとしているようだ。私が迅さんのところに行っている間に何かあったのだろうか。
まあこの際きっかけはなんでもいい。迅さんがこちらに着く前に手紙を完成させなければ。
しかし、兄は手を止めてしまい、一向に手を動かす様子はない。焦れた私はボールペンをポルって、とにかく最初の一字を書かせることにした。
えーと、「迅」ってどうやって書くんだっけな。
とかまあ、そんなこともあったなあと思い出していた。
自分の部屋で眠る兄の寝顔を眺めながら。
兄と迅さんはちゃんと仲直りができて、また一緒にいるようになった。さすがに本部のあの部屋でどんなやり取りがあったのか、は見ていない。空気の読める幽霊だから。
なんにせよ兄は玉狛に帰ってきて、迅さんと仲直りして、またみんなと一緒に暮らし始めて。
そして驚くべきことに、帰ってきた数日後には声が出るようになった。
それを見たらもうほっとしてしまって、二人が化け物四体に襲われているのに思わず笑ってしまった。久々に聞く声は少し低くなっていて、数年の経過を感じさせた。
幸せそうに笑う彼らを見たら、私はなんだか、肩の力が抜けてしまった。
優しい兄の声、笑う兄の声、そして迅さんの名前を呼ぶ兄の声。
それらが聞けて、もう、消えてしまってもいいかもな、なんて。
兄のベッドにこっそりもぐりこむ。今日は迅さんが出かけているので、久々に兄は一人で眠っていた。彼の特等席である兄の隣を、今日くらい私がもらってもいいだろう。
涎を垂らして眠る兄の頬を叩こうとしたが、やはりすり抜けてしまった。
私の手は、もう輪郭を保つことすら難しいようだった。
(……お兄ちゃん)
そっと呼びかける。
兄は少しぐずったが、すぐにまたにへらと情けない笑みを浮かべた。
その顔にこっそり笑って、私は兄の懐にもぐりこむ。もっともすり抜けてしまうのでフリだけだ。少し寂しい。
目を閉じると、ちかちかと瞼の裏が光る。その真ん中に、生きていた時の思い出が浮かんでは消えた。死んでからの思い出は、不思議とおぼろげになっていた。
ねえ、お兄ちゃん、たまには私のこと思い出してね。
死んだときの姿じゃなくて、笑ってるときの顔がいいかな。
足が解けていく。瞼を閉じても兄が見える。
どうやらいよいよ、シャバともおさらばのようだ。
ばいばい、また百年後くらいに会えたらいいね。
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