□妹さん、見守る
兄はどうやら迅悠一、という男性と、そう男性と付き合っているらしい。
そういう趣味だったっけ?と少し疑問が頭をもたげたものの、まぁ幸せそうだから何も言うことはない。むしろもっとやってほしい。
なぜ兄が迅さんと付き合うことになったのかとか、どうしてあれだけ喋っていた人が喋らなくなってしまったのかとか、色々と疑問はあるものの、兄が恋人としてどうなのかとか、迅さんは兄を大切にしてくれているのかとか、そっちの方が気になる。気になりすぎて夜しか眠れない(幽霊は眠らなくてもいいんだけど)。
今日は二人で水族館に行くらしく、昼から二人で出かけるようだった。
なぜか部屋に引きこもった兄をどうにか木崎さんと迅さんが引っ張り出し、私は人通りの少ない道を歩く彼らの背後をついていく。
服とバッグでたくみにつないだ手を隠し、楽し気に歩いている。もしも私が鼻血を出せたらこの辺一帯真っ赤だぞ、幽霊でよかったな。
たぎる感情を踊ることで発散していると、とあることに気がついた。
私は幽霊だから若干浮いているのだが、そのせいで二人を俯瞰することになり表情がよく見える。
兄は水族館を楽しみにしているのか正面を向いているが、迅さんは隣を見て、どうしてか少し陰りのある顔をしていた。
(……?)
なんだろう。欲情したとかムラムラしたとか押し倒したいとか、そういう顔ではない。
そういえば、さっき部屋から兄を連れ出す時も、なぜか焦ったような顔をしていた。
小学生の時、お母さんに叱られて似たような拗ね方をしていたから、変わってないなーと私は笑っていたのだが。
首をかしげながら、私は電車に無賃乗車し、バスにも無賃乗車して、兄たちについて水族館へとたどり着いた。
ちなみに言っておくが兄たちは払った、私は幽霊だからグリーン車だろうが自由車だろうがタダである。
チケットを二枚買って、兄と迅さんが暗い通路へと足を踏み入れていく。独特の音楽とライトになつかしさを覚えながら、私も水族館デートを楽しむことにした。
(あぁ! あの人たち手つないでる!! ああああ柱!! 柱邪魔だよその二人キスしてんだろどけよ柱!! ひぎいいああお尻触った!! ボディタッチしてるあああああ)
本当に、水族館みたいな薄暗くて大多数の目を引く水槽があって音楽が流れてる場所って最適なんですね。ごちそうさまでした。
ひとしきり周囲のホモを楽しんでから、再び兄たちの方へと戻る。
アーチ状の水槽の下を潜り抜けているその後ろをふよふよと漂いながら、彼らの表情を伺った。兄はエイが腹を見せながら泳ぐ様を見て大きく口を開けて、迅さんはそんな兄の様子を微笑まし気に見ている。
その様子がいかにも「この人が大好きです」という空気が醸し出されていて、盗み見ているこちらも幸せになってしまう。
現に、私の同族と思しき女性たちが二人を笑顔で見守っているのだから。
しかし、兄の声が出ないことは心配だが、幸せそうでよかった。それが気がかりだった。
そしてはたと思う。
(……あれ?)
心配だったのは、あの場でただ一人生き残っていた兄のその後。
中学生になっても家族大好きで、お兄ちゃんなんだから、とか言われるとやたらと張り切る兄。その家族を失った兄がどうしているのかと気になっていたのは事実だ。
その無事が確認できて、幸せそうなのも見られて、心残りはないはずなのに。
どうして、私はまだこの世でふらふらしているのだろうか。
なんだろう。は〇だ先生の新刊が読めていないから?それともおげ〇つたなか先生?
いや、違う。それもとても惜しいけど、たぶん違う。だって、それは私がこうなってしまってからの未練だ。多分、こうなる前、死ぬ直前に思ったこと。
それが一体何なのか、わからない。それがわかったら、そして果たされたら、私は成仏するんだろうか。別に今が結構楽しいから、成仏しなくてもいいけど、このままでいいのだろうかという危惧もないことはない。
などと、柄にもなく考え込んでいたら、兄たちを見失ってしまった。
慌てて順路を辿り、二人の姿を探す。途中で近場のホテルを検索している二人組(両方男)を見かけたが、涙を呑んで兄を探した。やっぱり慣れない考え事なんかするもんじゃない。
ようやくクラゲの水槽の前にいる兄と迅さんを見つけ、ほっとしながら後ろについた。
「……」
小さなクラゲが漂う水槽の前に立っていた兄が、迅さんに向かって手招きする。
誘われるがまま迅さんが兄のもとに近づいた。水槽のとある一点を指さす兄に、迅さんは首をかしげる。
「なまえ、なんもないよ?」
「……」
ついでに私も目をこらしてみたが、やはり兄の指さす部分には何もいない。
他の部分にはクラゲが漂っているのに。
目をすがめた迅さんがさらに顔を近づけたその時、兄はその隙を狙って彼の頬にそっとキスをした。
それは一瞬の出来事だった。
ぽかんとする迅さんが兄の顔を見つめ続けると、兄の顔がどんどん赤くなり、速足でクラゲの道を抜けていった。迅さんはよみのがした、と小さく呟き、兄の後ろを追いかける。その横顔は真っ赤に染まっていた。
そして、私は。
(ッッ……アァーーーーーー!!!!)
顔をおさえて、全てをすり抜けるのをいいことに床を転げていた。
だっておかしいでしょ!! おかしくない!? 控えめに言って最高じゃない!? 身内のひいき目なしであれ素晴らしいでしょ!! 何あれ自分でキスしたくせに照れて逃げるとか何!? 迅さんもさんざん手つないだりこっそりお尻触ったりしてたの私見てたよ!! それなのにほっぺにキスされただけで真っ赤になってんじゃねえよ!! 死ぬわ!!!!
ゴロゴロと床をローリングしまくり、動かないはずなのにはちきれそうな心臓をおさえつけ、地面に頭を打ち付け(すり抜ける)。
はぁはぁはぁと息を荒げながら、さらなる展開を求めて再び兄たちを探し始めた私の頭からは、自分がこの世に残っている原因をいぶかしむ思いなんか、きれいさっぱり消え去ってしまっていた。
ただ、木のとげが深く入り込んだような、わずかの違和感を残して。
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