天邪鬼に恋


槍バカの言葉は正しかったのかもと、今になって思い始めた。

みょうじの顔を見れば胸がざわつき、声を聞けば耳が熱くなり、ふとした瞬間に手が触れたら声を上げそうになる。挙動不審にならないように努めるのが精いっぱいで、気を抜けば自分じゃなくなりそうになる。

それに気づいてからはなんとなく怖くなり、花屋に寄る頻度も減っていた。

別に約束をしているわけじゃないから不自然ではないはずだが、突然行かなくなって、不審に思われないだろうか。もしかして、そこからおれがみょうじのことをどう思っているかバレてしまうんじゃないか。
そんなことを考えて、また足が遠くなる。

それに比例するように、みょうじに話しかけることも減っていった。もともと向こうはおれのことを嫌いなわけだし、こちらから構わなければ話すこともない。せいぜいが授業の事務連絡くらい。

数えてみたら、もうまる一週間、花屋に行っていなかった。


「はぁ……」

任務の後、いつもは少し時間をつぶしてから花屋へ足を向けるのだが、謎の気まずさにおれは今日も作戦室でぐったりしていた。

気まずさを解消したい思いはあるものの、それにはまず、気まずさの原因が何なのかを知らなければならない。
ただそれを知ってしまうと、槍バカの言ったことを認めるような気がして、どうにも先に進めなかった。

読みかけの漫画に手を伸ばしかけてやめたその時、作戦室の扉が音を立てて開いた。

「弾バカー」
「……なんだよ」

無遠慮にやってきた槍バカは、物の散乱する中をひょいひょいとよけながらこちらへ進んでくる。おれの思考をかき乱している5割、いや7割くらいはこいつのせいだというのに、それを自覚している様子もない。
黒目がちの目に見おろされながら、次の言葉を待った。

「何死んでんの」
「せーりだからおれ」
「それより物の整理しろよ。お前さー、みょうじの家って知ってるか?」

槍バカのくせにうまいこと言いやがって、と理不尽な怒りをぶつけていたら、唐突にそんな質問が飛んできた。
内心は後ろから脅かされたのと同じくらいに驚きつつも、表面上は平静を装う。

「あー、まぁ、花屋な。知ってるけど、それが何だよ」
「みょうじにさあ、英語訳ノート借りてそのまんまなんだよ。明日アイツの出席番号だから当たるだろうし、でもおれ朝から任務だし。返しといて」
「……自分で行けよ」
「いやお前の方がいいだろ?」
「はぁ? なんでだよ」

おれの抱く気まずさなど知る由もない槍バカは、えーだって、と手に持った青い大学ノートをひらひらさせながら口を尖らせた。
もしもここが訓練室なら、顔面にメテオラを叩き込んでやりたい程度には腹が立つ。というか、次に言われる言葉もおれを苛立たせるだけのような気がする。

そして思った通り、このバカはバカなことを言ってくれた。

「弾バカとみょうじの逢瀬の場にしてやろうと」
「んな単語覚えるんなら英単語でも覚えろ!」

手近にあった唯我のカバンが、槍バカの顔面に命中した。


それで、なんやかんやと言いくるめられて花屋まで来てしまったおれもおれなんだろうなと思う。

カバンの中にみょうじのノートを入れて、久々に感じる道をとぼとぼ歩く。少し前までは、あいつと会うのを楽しみにさえしていたのに、今日は全く正反対だ。

会いたいは会いたいが、会うと何か、何かが変わってしまいそうで怖い。

どれだけゆっくり進もうが、歩いていればいつかは花屋にたどり着いてしまう。塀から少しだけ顔をのぞかせて様子を伺うと、そこにはやはりみょうじがいた。
あわよくばみょうじ以外の、親御さんとかお姉さんとかがいないだろうかと思ったが、いつもこの時間に会うのだ。
この時間があいつのシフトなんだろう。

彼はいつもは俺が陣取っている金属製のベンチに腰を下ろして、ぼうっとどこかを見ていた。エプロンの上に首輪をした猫が気持ちよさそうに寝ころんでいる。
その耳や肉球の間にみょうじが指を突っ込んでいるのだが、猫は起きる気配がなかった。
尻尾をヌンチャクのように振り回されても怒らない猫に緊張を解され、おれは観念して出ていくことにした。

カバンを肩にかけなおし、先ほどよりも大股で歩き出す。

足音に気が付いたのか、ぬいぐるみのように寝ていた猫が素早く身をひるがえし、みょうじの膝を蹴って走り去った。

『あ』

おれとみょうじの言葉が重なる。

向こうはそれでようやくこちらの存在に気が付いたのか、猫を追っていた視線がおれに向かう。かち合った瞬間にきゅっと細くなるみょうじの目に気おされつつも、とりあえずいつもと同じように声をかけた。

「お疲れー、みょうじ」
「……なんだ出水か」
「なんだってなんだコラ。今の猫、お前飼ってんの?」
「俺猫嫌いだし」

心底面倒くさそうに言うと、みょうじは猫を乗せていた膝をぱっぱと払った。細い毛がふわふわと散る。
そのままずかずかと店の中に入っていって、何やら作業をしだした。

なんだか、いつにもまして機嫌が悪そうだ。
おれの気のせいかもしれないが、いつもはもっと丁寧に作業しているような気がする。
なぜだろうか。また、前みたいなムカつくおばさんが来たのか。それならそれでおれも腹立たしいが、なぜか違うような気もした。

そこでようやく自分の用事を思い出し、カバンからみょうじのノートを取り出す。店の中に俺も足を踏み入れ、背中に話しかけた。

「なー、みょうじ、コレ」
「あ?」
「槍バカがノート借りてたんだろ。返しに来た」
「米屋か」

こちらを振り向くこともせず、ただ機械的に手を動かしているみょうじ。

ノートを返すだけなら、どこかの上にでも置いておけばいいものを、なぜかそうしないおれ。何か話のとっかかりになるものでもないかと周囲を見回したが、これと言ったものは見つけられなかった。

仕方なく、ノートを作業台の上に置く。

「ここ。ノート置いとくからな」
「……」
「……」

無視かよ。

相当機嫌が悪いようで、これは下手に触らないほうがいいやつだと悟る。

だがそれと同時に、一体その理由は何だろうかとも思う。もし誰かに不愉快な思いをさせられたなら話くらいは聞くし、そうでなくて何か悩んでいるのなら相談には乗る(後者は絶対おれには話さないだろうが)。

もしやおれが来たことで不機嫌になったのかという考えも頭をかすめたが、今まで怒らなかったのに今回だけ怒るというのもおかしい。

色々考えても、結局直接聞くには至らず、おれはあきらめてベンチに腰を下ろした。金属特有のひんやりとした感触が背中に走る。
お互いに無言のまま、10分くらいが経過したとき。

「……」
「……」
「……あ、ネコ」

先ほど逃げたはずの猫が、ちょろちょろと再び寄ってきていた。

鼻先に指を差し出すと、ふむふむ匂いを嗅いでから、はずみをつけておれの膝の上に乗りあげる。首輪をしている飼い猫とはいえ、ここまで人慣れしているのもどうなのか。

喉をくすぐると、頭をこすりつけながら寝ころぶ。ふわふわした毛を堪能していたら、隣に誰かが座った。視線を向けると当たり前だけどみょうじで、ぐっと近くなった距離に心臓が大きく脈を打つ。

「くつした、おいで」
「靴下!?」

衝撃の言葉を口にするみょうじに、気まずさとかいろいろなものが吹っ飛んだ。
猫はうなーお、と間の抜けた鳴き声をあげて、あっさりとおれを捨て、みょうじの膝へと乗り移る。猫の足は白い靴下をはいたように毛が生えそろっていて、だから靴下と呼んだのかと納得する。
長さ的には足袋だが、いやそれはどうでもいい。

膝の上に猫を乗せ、どこか自慢げなみょうじに力が抜ける。

「猫嫌いとか、ウソだろ絶対」
「ひっかく猫は嫌いだよ」
「ああ……コイツおとなしいもんな」
「ナマケモノの生まれ変わりとか言われてるからな」
「うなーお」
「うわ答えた」

猫はみょうじに応えて、またぐでんぐでんと体の力を抜いている。その体を好き勝手にいじくりまわすつむじがちらりと見えた。
ああつむじだと認識する前に、その上にぽんと手を乗せた。

「…………」
「…………」

髪を撫でつけるように何度か手を往復させると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でみょうじがおれを見る。おれも自分のやっている行動がよく理解できなかったが、構わず手を動かし続けた。

振り払うかと思ったが、予想に反し彼は少し頭を下げ、撫でられやすい体勢になる。伺うような視線が手の下からおれに向かい、それとかち合った途端、ずっと浮いていた感情が着地した。

着地したから、おれは口元をゆがませ、笑みを作った。

「なんだよお前、もしかしておれがここんとこ来なかったから寂しがってたわけ?」
「は、……は?」
「そーかそーか、寂しがり屋だなあみょうじクンはー。よしよしこっちおいでー」
「うっっざ!!」

口ではそう言うものの、猫を慮ってか大きくは動かない。その隙にと、意外と痛んでいる髪をぐしゃぐしゃとかき回す。というか、否定はしないのか。

そうだ、槍バカの言った通り、おれはたぶん(というか絶対)みょうじのことが好きだ。
おれに面と向かって嫌いだと言う、こいつのことが。

「つかその猫、どこの子だよ」
「あ? 知らない。たまに来てかつぶし食ってく」
「お前やっぱ猫好きだろ」
「……まぁ」

だって仕方ないだろ、そういうところ全部含めて、こんなに可愛いんだから。


リナリア:この恋に気づいて

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