世界ってやつは、案外優しかった


「ただいまー」
「お帰りー」

玄関から聞こえてきた小南ちゃんの声に、ソファから身を乗り出しながらそう返す。

とたとたと軽い足音の後で、勢いよく扉が開かれて小南ちゃんが入ってきた。
僕の前に仁王立ちしてそのままじっとこちらを見つめたかと思いきや、再び。

「みょうじ、ただいま!」
「はい、お帰り小南ちゃん」

そう返すと、彼女は満足そうに(嬉しそうに?)うなずき、台所に手を洗いに行った。

小南ちゃんは僕の声が出るようになってからというもの、何かというと返事をしてほしがったり、今みたいにわざわざ僕のところまで来たりする。声が出るようになったと報告したときは子供みたいに泣いてくれて、違うとはわかっているものの、どうしても妹のように見てしまう。

彼氏とか連れてきたらどうしようといらない心配をしながら、今日学校の帰りに買ってきたばかりの雑誌をめくる。

手を洗って、冷蔵庫から自分のジュースを取り出してきた小南ちゃんが僕の隣に腰を下ろした。
僕の肩にもたれかかり、横から雑誌を覗き込みながら尋ねてくる。

「ねえ、玄関のとこに花が飾ってあったけど、あれってなに?」
「ああ、あれ? ……お祝い?」
「お祝いって、なんの?」
「僕がよく花買ってる花屋さんあるんだけど、そこのおばあちゃんがくれたんだよ。声出るようになったのね、よかったわねって」

家族の墓参りや、親戚の元へ顔を出す時など、なにかというと花を買う僕の行きつけである。70歳くらいのおばあちゃんが経営していて、ほぼ趣味のようなものだという。
僕と同い年くらいの孫がいるとかで、よく気にかけてもらっていたのだ。

今日はたまたま前を通りがかって挨拶をしただけなのに、どうぞ持って行ってと花までもらってしまった。
そのうちお礼をせねば。

「そうなんだ。いい匂いだし、きれいな花よね。なんていう花なの?」
「小南ちゃんも知ってると思うよ。クチナシって花」

「……くちなし?」

名前を聞いた途端、小南ちゃんの顔がむっとする。
僕が首をかしげると、なんだか嫌味だわ、と呟いた。どういう意味だろう。

「なんで?」
「だって、クチナシって口無しってとれるじゃない。なんだか嫌よ。もっとこう……バラとか、ひまわりとか!」
「どどーんとした花?」
「まあ、みょうじがもらったものだし、文句は言わないけど……」
「もう言ってるじゃん」
「うっ……」

小南ちゃんは気まずそうにうなると、力の入っていない拳でぽこんと僕をたたいた。
もちろん、責めるつもりはない。僕を思ってのことだとわかってはいるし、それに、僕も同じことを思ったからだ。
死人に口無しだとか、そんな言葉と通じるから。

しかし、僕がそう感じるのを見越したように、花屋のおばあちゃんは笑ってクチナシを選んだ意味を教えてくれた。

「花言葉ってあるでしょ」
「うん。それがどうかしたの?」
「クチナシの花言葉って知ってる?」
「……確か、沈黙とかだったかしら?」
「ぶぶー」
「違うの!?」

手でバッテンを作る。彼女は相変わらずオーバーなリアクションで驚いた。
僕も驚いたが、意外にもクチナシの花言葉は違う。

「私はとても幸せです」
「えっ」
「あとは、喜びを運ぶ、なんかもあったかな。たぶん、おばあちゃんはこっちメインで選んでくれたんだろうけど。アメリカで、男の人が女の子をダンスに誘うときに贈るのがクチナシなんだってさ。そこからそんな花言葉になったらしいよ」

『大切な人に分けてあげなさいね』と、花屋のおばあちゃんは言っていた。再び話すことができる喜びを、周囲に分ける、ということだと僕は解釈した。
だから玄関に飾って、必ず目に入るようにした。

「僕にぴったりだと思って」

ね、と同意を求める。
しばらくぽかんとした後、小南ちゃんの顔がさっと赤く染まり、顔を隠すように僕の腕にしがみついた。
服と一緒に肉もつかまれて痛いし、夏めいた今はかなり暑かったけど、振り払ったりはせずに頭を撫でる。さらさらと細く柔らかい髪が心地よくて、手ですくっては落とすことを何度か繰り返した。

「……みょうじ」
「ん?」

鼻をすする音と、少しだけ震えた声。こんな声を聞くのは初めてだった。自分の声が出るようになって、僕は人の声色に敏感になったように思う。

顔をあげた小南ちゃんの目は潤んでいて、今にもこぼれてしまいそうだ。
親指でそっとぬぐい取ってみたが、一粒ぽろりと零れ落ちた。

「なに?」
「ボーダーに入って、玉狛に来て、あたしたちと会って……。よかったって、思う?」
「うん。……あの時、僕のこと助けてくれてありがとう、小南ちゃん」

大侵攻のあの日にあのまま死にたかったとか、自傷行為じみた自滅を繰り返していたりとか、今思えばとんでもなかったと思う。
助けた人間がそんなことをしたら、小南ちゃんがどう思うか、なんて考えてもいなかった。

ひっくひっくと体を揺らす小南ちゃんの頭をまた撫でると、タックルするように彼女が腕の中に飛び込んできた。それを受け止めて、あやすように頭と背中をさする。

その時、小さく小さく玄関が開く音がした。
その様子にはたとあたりをつけ、首だけ廊下につながる扉へ向ける。するような小さな足音の後、扉からこっそりと顔を出したのは、やはりというか、迅。サイドエフェクトで視たのかもしれない。

僕にすがって泣いている小南ちゃんを見ると、優しく笑って軽く手をあげた。
それに僕も片手で丸を作って答える。それを確認し、迅は足音を立てないようにしながらそっと部屋へ戻っていった。

おかしなことだ。
小南ちゃんが泣いているというのに僕は、この空間がずっと続いてくれますようにと祈らずにはいられなかった。

<END>
お題:確かに恋だった


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