薄明に咲いたクチナシ


太刀川さんと何事かを話したなまえが、悶々と考え込んでいるようだったから、そっとしておくことにした。そこまで真剣そうに話しているわけではなさそうだし、大事ではないだろう。

薄く明け始めた空を眺めながら、ふと思い出した。そういえば、明日の任務は昼からか夜からなのか。夜ならまた一緒に出掛けようと思っていたのだった。
それを尋ねようと、隣を歩いていたなまえのほうを向く。

「……」

そして、サイドエフェクトが目の前に広げた未来に、おれは足を止めた。

『それ』が、今のおれには信じられないような未来で、一瞬思考が止まる。数歩先に歩いた彼が、不思議そうにこちらを振り向き、そして目を見開いた。

そこでようやく、背後から門が開く音がしているのに気が付く。
急いで振り向くと、黒い大きな穴から這い出てくる大型のモールモッド。わずかに辺りが明るくなってきた中で、それらは異質に見えた。

とっさに、なまえを後ろへ突き飛ばす。体が勝手に動いたのだ。

向こうもトリオン体で、庇う必要なんか欠片も必要ないのに。
強いて言えば、おれのサイドエフェクトがそうしろと言っていたから。

起動した風刃でモールモッドのブレードを受け止める。振り払って数発叩き込んでやろうとしたが、同じ門からもう二体モールモッドが現れて、ブレードを振り回した。その攻撃をいなして、なまえがとどめを刺すのを待つ。
そして、数秒後の未来が訪れるのを。

ここが、未来の分岐点だった。

ブレードがおれの頬をかすったその時、おれの視た未来が現実になった。


「……――、迅!!」

誰かの声が、おれの名前を叫んだ。

この場にいる人間は、おれとなまえしかいない。
そしてこれは、おれの声じゃない。

名前を呼ばれて、待っていましたとばかりおれは後ろに跳び退った。入れ替わりに前へと飛び出したなまえが、弧月を抜く。

きれいな軌道を描いた弧月はモールモッド達の足をすべて切り落とし、動きを止める。すかさず、おれが風刃で眼を両断して破壊した。

トリオンの煙を吐きながら崩れ落ちるトリオン兵を見下ろして、しばし二人とも黙り込む。

回収連絡しなきゃなとか、警戒区域から少し外れていたが誘導がうまくいっていないのかもしれないとか、弧月を使って無傷なんて初めてだねとか、彼にふる話題はたくさんあったのに。
そして、その沈黙を破ったのは彼だった。

「迅」

「……あ、……なに、なまえ?」

舌も喉もつっかえて、うまく言葉が出てこない。

やっとのことでそれだけを言うと、彼はびっくりしたような顔でまた固まって、それから笑った。今まで見た中で一番きれいで、心に焼き付くような笑顔で。

「迅、大好きだよ」

やっと言えたと、そうなまえは『言って』、おれの手を取った。
トリオン体でいるのがもどかしくて、おれは換装を解いてその手を引く。強く強く抱きしめると、同じく換装を解いた手が背中に回る。
泣きそうになるのをごまかすため、茶化すように口を開いた。

「最初がその言葉で、いいの?」
「むしろ、それ以外に思いつかないや」
「……そうか。……おめでとうっていうか……よかったなっていうか」
「どっちだろ。なんか、どっちでもないかな。僕にもわからない」

出会ってから初めて聞く声は、かすれてはいたがとても柔らかで、それでいてどこか子供のような声だった。いつまでも聞いていたいくらい、優しい声だ。

名残惜しく思いながらも体を離す。改めて顔を合わせてみると、なまえの垂れがちの目にはきらきらと光るものが溜まっていた。
おれの視線に気が付くと、なぜかおれの服でその顔を拭いた。

「ちょっとなまえ!?」
「あ、ごめん。手頃な位置にあったからつい」
「いやなまえの服のほうが手頃だよね?」
「大丈夫、こういう時の涙って鼻水と成分同じらしいから」
「何がどう大丈夫なのかわかんないんだけど!?」
「あはははっ」

朗らかに笑うと、はたとモールモッドのほうを見た。そして端末を取り出そうとして、やっぱりやめたと手を引き戻す。

「迅、回収班呼ばないと」
「ん、ああ。今呼ぼうとしてなかったか?」
「うん。玉狛のみんなに先に聞いてほしくて。たぶん、小南ちゃんとか怒るじゃん。なんであたしより先に本部のほうが知ってるのよ、って」

頭の中でその様子を思い浮かべてみたが、絶対に怒るだろうなと苦笑する。
そういえば鬼怒田さんなんかは、なまえがトリオン体でなら声を出せるようにと、随分腐心してくれたらしい。
彼もまた、あの苦労は何だったとか言いながらも祝福してくれるだろう。

回収班への連絡を済ませ、後ろを振り向く。

なまえはじっと日の出を見ていた。周囲が明るいからもう明けていたと思っていたが、まだ日は出ていなかったらしい。
そういえばこんな時間帯のことを薄明と言うんだったなと思い出した。

「連絡終わった?」
「ああ。……帰ろうか、玉狛に」
「そうだね。帰ろう、迅」

手を差し出され、迷いなくその手を取った。
この時間なら、人目も少ないから、大っぴらに手をつなぐことができる。二人で並んで、今度こそ警戒区域を出て歩き出した。

せっかく声が出るようになったのだから、いくらでも話すことはあるのに、なぜかおれたちは黙ったままだった。その沈黙が心地よかったから、話す必要がなかった。

ちらりと隣に目をやると、なまえの耳が見える。
持ち主の元に戻った赤いピアスがあたりに降り注ぐ日の光に照らされて、様々に色を変えた。それを時折見つめながら、おれは足を進めた。

わざと遠回りの道ばかりを選んで歩き、いつもよりも時間をかけて玉狛支部にたどりつく。
今現在支部にいる隊員を調べてみると、レイジさんとボス、それから宇佐美が今日は泊まっているようだった。あとは陽太郎と雷神丸か。

入り口の前で立ち止まり、なまえと視線を合わせる。
彼の顔はいたずらを企む子供の顔そのもので、おれもつられてそんな表情をしてしまった。

「準備オッケー、なまえ?」
「もちろん。迅は援護よろしくね」
「了解」

二人して人の悪い笑みを浮かべて、おれたちは玉狛支部の扉を開ける。

直後、二つぶんの「ただいま」という声が、玄関に響いた。

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