忠犬、きみ


「みょうじ、車を頼むよ」
「承知しました」

みょうじと呼ばれた青年は、唐沢の指示で作っていた資料を保存するが早いか、すぐさま椅子から立ち上がった。

ものの1分もしないうちに支度を整えると、唐沢のために扉を開け、先を行く唐沢の半歩後ろをついてくる。規則的な靴の音を背後に聞きながら、彼は少し笑った。

唐沢克己には、忠犬がいる。
命じれば、運転手から用心棒まで、何でもこなす犬が。

さながらホテルのドアマンのように車の後部座席を開け、唐沢が乗ったのを確認してみょうじも運転席に乗り込む。場所など伝えていないが、ここのところの取引先を考えればおのずと行先は限られてくる。みょうじはやはりきちんと把握しているようで、言われなくても正しい道を進んでいた。

彼は、数年前に公園でぼうっとしていたところを唐沢に拾われた男だ。

家もなく仕事もない、年齢さえあやふやだと言う。
拾った際、体中にケガを負っていたので病院に連れていったら、身分証さえ持っていなかった。何があったのかはいまだに話さないが、おそらく表に出せる事情ではないのだろう。
それをただの思いつきで拾って、最初は簡単なことばかり頼んでいたのだが、次第に唐沢にとって、公私ともになくてはならない存在となった。

先方に渡す書類を軽く確認していると、運転席のみょうじが唐突に口を開いた。

「唐沢さん」
「ん?」
「……本日は○○社との打ち合わせですよね」
「そうだよ」

ならいいんですと言って、みょうじは再び黙り込む。

珍しいことだ。普段は仕事中、必要事項以外は全くといって口にしない。ましてや、わかりきったことを聞いてくるなど。

何か変わったことはあっただろうかと思考を巡らせていると、軽い音を立てて車が停まる。彼は再び唐沢のために扉を開け、軽く頭を下げた。

「ありがとう」
「いえ。お荷物お持ちします」
「いや、いい。さっき頼んだ仕事をやっていてくれ」
「……承知しました。お気をつけて」

納得できていない顔をしながらも、みょうじは唐沢の指示には逆らわない。

律儀にエントランスホールに入るまで見送ってから、しぶしぶといった様子で車に戻るみょうじ。さながら「遊ばない」と言われた犬のようで、軽く笑みを漏らしてから、唐沢は頭を仕事に切り替えた。


打ち合わせは滞りなく進み、無事契約にこぎつけた。

しきりに飲みに誘ってくる取引先を受け流して、とうに仕事を終え、手持無沙汰のまま待っているだろう犬のもとへ向かう。

ビルの外へと出ると、彼はすでに車の外に出て、唐沢のことを待っていた。
肩や頭に何かの花びらや、飛んで来たらしい葉を乗せている。唐沢の姿を認めると、隙のない所作で頭を下げ、お疲れ様でしたと労をねぎらった。

「外に出ていたのか? 別に車で待っていてもよかったのに」
「落ち着かなかったので。タバコ吸われますか」
「いや、いい。禁煙中だからね。みょうじも知っているだろう?」
「はい」

知っているのに勧めるみょうじに、唐沢は苦笑いした。

しかし、今日はやけに無駄口が多い。唐沢にとって、決してそれは煩わしい事ではないが、気にかかるのも確かだ。

誰かに何か言われたか、それとも、何か昔のことを思い出したか。

みょうじは来たときと同じように後ろの扉を開けたが、唐沢はそれを無視し、助手席に乗り込んだ。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする彼に手招きをして、運転席に呼ぶ。

慌てたようにみょうじが運転席に乗り、車を出した。

「……この後は」
「直帰だよ。きみもだろう?」
「はい」
「なら、帰ろうか」
「はい」

家のない彼は、現在唐沢宅に居候している。
帰り道は同じだ。

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