たとえば、悪夢を見たとして


お母さん、今日は僕、友達とご飯食べてくるから、夕飯いらないよ。

違うよ、お父さん、彼女じゃないよ。だってあいつ男だから。

お土産? 仕方ないなあ、妹の特権使われたら断れないな。


皆笑っている。僕も笑っている。
だって絵に描いたように幸せな家族の会話。ありふれているけど、ここにしかないもの。

お母さんが今日は天気がいいわねと笑って、窓を開けた。窓からは何か白いものが流れこんでくる。なんだかとても厭な感じがした。もっと換気しようとお父さんが言って、庭に続く大きな窓を開ける。白いものはどんどん太く大きくなって、とある形になっていく。

嫌だ。いやだいやだ。
妹は笑顔で僕のところに近づいてくると、どんと僕の胸を突き飛ばした。

後ろにはフローリングの床があったはずなのに、僕の体は下へ落ちていく。妹はどんどん小さくなっていって、それなのになぜか笑っているのはちゃんとわかる。

そこに留まっていてはいけない。大声を出して家族を呼ぼうにも、声が出ない。
こちらに来てくれない。

こちらへ来てくれないのなら、僕もそこにいさせてほしい。そうしたらきっと、今度は。

ねばつく闇に体を取り込まれて、視界は真っ赤になってはじけた。


「……ッ!」

息苦しさで目を覚ました。
荒い呼吸をどうにか整えようとしたが、なかなか戻らない。過呼吸のようになっているらしい。

枕に顔を押し付け、深く息を吐く。
しばらくそうしているうちにだんだん落ち着いてきて、ようやくゆっくりと息をすることができた。そこでやっと、隣に誰かが寝ていたことに気が付く。

「……」

やっぱり、迅だった。
寝るときはいなかったのに、夜中になって帰ってきたのだろうか。ここは一応、僕の部屋なんだけど。

しかし、やすらかに寝息を立てて眠っているのを見て、少しだけ気分が落ち着いた。
汗でべたつく髪をかき上げて、そのままぎゅうと握りこんだ。

嫌な夢だ。
ここのところ、見る回数はめっきり減っていたのに。たまに思い出したように僕を取り込んでは、陰鬱な気分にさせるのだ。何もできなかった僕を咎めるように。

隣に眠る迅の顔をなんとなく見つめる。
今はまだ夜中と言っていい時間だけど、どうせこの後は眠れない。

迅の顔は、眠っていても相変わらず整っていて、同じ男として少し悔しいくらいだ。こちらを見ては優しい笑みが滲む目も、今は閉じられている。そういえば、嵐山とよく似非双子、なんて言い方をされているけれど、僕に言わせてみれば全く違う。
迅に嵐山みたいな爽やかさはないし、嵐山に迅のうさんくささは出せない。

自分で実力派エリートと言ってしまうところとか、暗躍が趣味だと言ってしまうところとか、うさんくさいにもほどがあるからなあ、などと、そんな彼を選んだ自分を棚に上げて考えてみる。

そろりと顔に手を伸ばして触ろうとして、やっぱりやめた。
疲れているのなら、起こしてしまうわけにもいくまい。

たかが、夢見が悪かった程度で。

ところが、手を引き戻した瞬間に迅の目がぱちりと開いた。ホラーさながらの状況に声なき悲鳴をあげる。ちょっとだけ、声が出なくてよかったと思う。

「……なまえ?」
「……」
「んー……なんか、おこってる?」

寝起きで少し舌足らずになっている迅にきゅんとしながらも、驚かされたことへの抗議の視線を送る。
彼はそんな僕の様子に首を傾げたものの、すぐに眠そうな目を細め、僕の背中に腕を回した。
そのまま抱き寄せられ、迅が自分の枕にしていたもう一本の腕も僕の頭に回った。

「……」
「夢、みちゃった?」
「……」

まるであやすみたいに背中をトントンと叩かれて、僕は迅に少しだけ強く抱き着いた。
声の出ない口で、じん、と名前を呼ぶ。

「なに、なまえ?」
「……」
「大丈夫。寝るまでこうしててあげるから、寝な」

耳に流れ込んでくる低くて優しい声に、体を包んでいた緊張がじわじわと解けていく。

起きてしまった理由を説明したわけじゃない。彼に起きて欲しいとアクションを起こしたわけでもない。

だけど迅は、それらを読み取ったように僕のしてほしいことをしてくれる。
一旦体を離し、至近距離で迅の顔を見つめる。不思議そうなその顔、正確にはその瞼にキスした。
何が起こったのかよくわかっていないらしい迅に笑いかけると、ようやく我に返ったのか、頬が赤く染まっていく。

「……なまえさあ、もう……」
「……」
「嫌なわけないよ。たださあ、読み逃したっていうか……びっくりした……」

顔の赤い迅が、お返しとばかりに頬にキスする。だから今度は僕が、鼻にキスした。そうすると今度は、迅が僕の唇の端に。

ひとしきりそんなやり取りをして、気が付けばあの陰鬱な気分は消えていた。
代わりに眠気は復活し、うつらうつらとし始める。

「なまえ、眠い?」
「……、」
「うん。じゃあ、寝ようか」
「…………」

ぱ、と迅の体が離れる。
玉狛支部(というか、主に僕らへ課された)の掟、支部の中でやましい行為はしないこと。そういうことをしたいなら外に行けというボスのお言葉により、抱き合って眠るのはギリギリでアウト領域なのだ。残念なことに。

だけど、隣で一緒に眠るのは許可されている。

「……」
「ん、手つなぐ? いいよ」

迅の手と僕の手とをつないで、その腕を開いている方の手で抱き込む。
そうして眠るのは僕のお気に入りだった。彼はすでに半分夢の中のようで、さっきから目がほとんど開いていない。僕も似たようなものだ。

「……、……」
「おやすみ、なまえ」

優しくて大好きな声が、静かに鼓膜を揺らした。僕は抗わず、そっと目を閉じる。

おやすみ、迅。
どうか次に見る夢の中には、君が出てきますように。

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