君の温度が思い出せない


何かあったんだろうなとはすぐに察した。

いつも生き生きしているとは言いづらい目が、今日はいつにもまして淀んでいた。

趣味の暗躍さえも予定がないのか、ぼうっとソファに座り、ぼんち揚げを食べているだけ。

「……迅」
「…………」

呼びかけてもこの始末だ。

小さくため息をついてから、拳で軽くその頭を小突く。

そこでようやく俺の存在に気が付いたのか、死んだ目がこちらを見た。
が、やはり焦点が合っていない。

「……あー……レイジさん、なに?」
「何かあったか」
「いや……別に。何にも」

嘘をつけ、と今なら小南でも言うだろうなと思う。それくらい何かあったのは明白だ。
そういえば最近、なまえの間に漂う空気が妙だったが。

……いや、おかしかったのは、なまえがカウンセリングに行き始めた頃からか。
ぐしゃぐしゃとその頭をかき回して、先ほどメールが来た内容を口にする。

「なまえは今日、本部に泊まるそうだ」
「……ん、わかった」
「今日は夜に任務がある。忘れるなよ」
「りょーかい」

迅は力なく手を振って、ソファから立ち上がった。部屋に戻るのだろう。

その姿を見送りつつ、ポケットから携帯を取り出して、届いたメールを再び読み返した。

『少し出かけます。2,3日したら帰るので、迅には本部に泊まると伝えてください』

一体、何があったのか。

迅に嘘をついてまでどうしたいのか、気にならないわけではない。
しかし聞いてはいけないような気がして、ただなまえの言葉に従った。

帰ってこないとなると確かに迅は気にするだろうから、黙っていてくれというのは妥当な判断なのかもしれない。
どう返したものかと少し考えて、小さなボタンを押していく。

『迅に伝えた。なあなあにして済ませることはするな』

返信はこないだろうとあたりをつけて、携帯をポケットにしまう。

迅はあの様子だと夕飯を食べないだろうから、何か軽くつまめる物を用意しておこう。


◇ ◆ ◇ ◆


部屋に戻って、ベッドにごろりと横になる。
誰かと話す気になれなかった。

レイジさんは何かに気が付いていたようだけど、聞かないでいてくれた。つくづく、周囲に恵まれたと思う。

なまえは本部に泊まると言っていたらしい。
おれの顔を見たくないということだろうか。

「……そりゃ、会いたくもないか」

自嘲して、両手で顔を覆った。

おれも、今は彼と会いたくなかった。

目を伏せてきたこと、見たくなかったことが一気に押し寄せてきて、どう整理をつけていいかわからない。向き合えば向き合うほど、一番見たくない部分を見てしまう。

それが嫌で目を閉じてみるけど、意味はなかった。

机の上には、なまえが返してきたピアスが置いてある。
実は、あれを渡したとき、なまえはピアスの穴なんて空けていなかった。もちろん、おれはそのことを知っていた。

知っていてわざと渡したのだ。

今にして思えば、あれはまるで首輪のようなものだった。

わざわざ自分の手で穴をあけて、明らかに趣味ではない赤いピアスをつけて、飼い主が自分の犬に首輪をつけるみたいに。

なまえは優しいから、おれのそんな気持ちを見透かすみたいにいつでも身に着けてくれていた。
赤いきらめきを見るたびに安心できた。
それが今や、見るたびに気を沈ませるものへとなってしまったけれど。

「読み逃したなあ」

こんな未来になるなんて、思いもしなかった。

思いもしなかったというべきか、それとも、考えようとしなかったというべきか。

ぎゅう、と強く目を閉じてから、ゆっくり開く。
季節は冬を過ぎて久しいというのに、寒々しい天井を眺めた。

たとえ、もう元に戻れないのだとしても、考えたいことがあった。

雪人があの時、ひどく傷ついた顔をした理由。
そして、距離を置きたいと思った理由。

何か忘れているような気がしてならない。きっとふたつの理由もそこにあるはず。

「……」

最初から考えてみよう。

おれが、なまえと一緒にいたいと思ったのはなぜだったか。

再び目を閉じて、すべての景色を視界から追い出す。記憶をすべて、一からさらっていけば、思い出すことができるだろうか。

もう一度なまえが笑ってくれるなら、それ以上は何も望まない。
たとえ隣におれがいなくても。

お題:確かに恋だった


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