カウントダウンは、始まっている


忘れてしまったんだなと、気が付いた。

小さい小さい約束を、取るに足らない決めごとを。

僕の肩をつかむ迅の手に、僕の手を添えた。木村を殺しそうな勢いで見ていた目が、ようやく僕を映す。
自分ではそうと気が付いていないだろうけど、迅はいつもよりずっと低い声で僕を呼んだ。

「なに、なまえ?」
「…………」

携帯を使う気にならなくて、とんとんと手を叩く。
それだけで意図は察してくれたのか、強く握っていた僕の肩をようやく放した。じんじん痛む肩を少しさすって、木村に向き直る。

みょうじ、と名前を呼ぼうとしたので首を振った。
これ以上迅を刺激したくなかった。

ごめんね、バイバイと手話で伝えてから、踵を返す。

「おい、みょうじ!」

呼びかけには振り向かなかった。
迅は何も言わず、僕の後ろを歩いた。



迅が僕を避ける理由が、どうしてもわからなかった。

喋れない僕が嫌になったのか、それとも別の理由か。
いずれにせよ推測はできても確定はできず、いろんな人に協力してもらって直接聞き出そうとしても、それすらできず。
行き詰った僕は、第三者からの意見が欲しくて、カウンセリングの後に木村と会う約束をした。急な話でも、快く引き受けてくれた彼がありがたかった。

木村はまだ手話での長い会話はできないから、あらかじめ携帯のメモ帳に論点をまとめ、会ってからそれを見せた。

「ふんふん……なるほど」

小学生の頃とは違い、生真面目にメモを読み、うなずく。

どうだろうかと首を傾げたら、木村は携帯を僕に返しながら、さわやかな笑顔で言った。

「俺にはわかんね!」

相談する人を間違えたんだなあと、その時に実感した。

真顔になった僕に焦ったのか、木村は冗談冗談と取り繕い、ポケットに親指をひっかけて首をひねる。

「んー、でもさあ。その恋人がどう思ってるにしろ、黙っていきなり避けるってひどくねえ? 誠実じゃないって気はする」
「…………」

それは、まあ確かに。

どんな言葉でも受け止める準備はしているから、せめてその理由だけでも教えてほしかった、というのはある。
でも趣味が暗躍という迅だから、無理な話かもと思っていた。

迅の趣味を知らない木村は、更に言葉を続けた。

「俺がみょうじの立場だったら、なんかやましいことでもあんじゃないかって疑るけど、それはないわけ?」

首を横にふる。

願望は大いに入っているけど、それはないような気がした。

「根拠は?」
「…………」
「ないのかよ。……てかさあ」

ぴたりと歩みを止め、木村がこちらを振り向く。
点滅する街灯がいかにもスポーツマンです、という顔をまばらに照らして、表情をわからなくさせた。

僕も足を止めて、自分より背の高い彼を見上げる。

「みょうじって、そいつじゃなきゃダメなの?」
「……?」

質問の意味が分からず、目を瞬かせる。

迅でないとダメ、とはどういうことだろう。

木村は表情のわからない顔で僕を見下ろしている。
よくわからなくてリアクションを起こさないでいると、焦れたようにだから、と僕の手を掴んだ。

そして、細めた目で僕を見つめて言った。

「お前の恋人、俺じゃダメなのかって」
「……、……!?」
「また会えるなんて思わなかったから、ちゃんとした言葉、用意できてないんだけど。でも、小学生の時からずっと、お前のこと好きだった」

指を絡ませて、いつになく真剣な顔をする。
腕を引こうとしたが、強い力で引き戻されてしまってそれはかなわなかった。

「俺はお前のこと、絶対に守れる。傷つけたりしない。例えこれから先、声が出なかったとしても、ずっとみょうじの隣にいる」

お前の恋人みたいに逃げたりしない、そう言って、木村は僕を抱きしめた。

「……」

迅と違う体温が、迅と違う匂いが、迅と違う鼓動が。

心地よいものではあったけど、かみ合わなかった。

「だから、ずっと俺の隣で笑っててくれ、みょうじ」

僕が笑うのは、笑っていられるのは。
迅が、約束をしてくれたからで。

ごつんごつんと、アスファルトの地面を踏み抜くくらい大きな足音がして、僕は音の発生源を見やる。

そこには、ひどく傷ついた顔をした迅がいた。

お題:確かに恋だった


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