天邪鬼の手


日直日誌を書くみょうじの手を見て、はたと気が付いた。

「お前、ずいぶん手ぇ荒れてんな」
「あ?」

教室内にはおれとみょうじ以外がいなくて、だからかいつも通りの対応をされた。

さっきまでわいわい騒ぐ槍バカやいさめる(物理)三輪、その他、まだ家に帰らない生徒の声であふれていたのだが、厳しい教師が通りがかるやすぐさま消えて行った。

ただそんな教師にも、笑顔であいさつをしていたコイツはさすがだと思った。

みょうじの手は、指が長く色が白いものの、細かな傷やあかぎれであちこち痛々しい。水を扱うことが多いからだろうか。花屋に遊びに行っても、水の中で花の茎を切ったりしているところをよく見かける。

「うわ、指先とかガッサガサじゃん」
「おい触んなよ、汚れる」
「汚れねーって」

この程度ならば、最近は流せるようになってきた。
後でウェットティッシュでも渡せばいいんだろう。

机の上に置いてあったみょうじの手を取り、かさつく指先をなぞる。

おれの母親とどっちが荒れているだろう。人生の折り返し地点間近の母親と、まだまだ若い彼を比べるのもどうかと思うが、それくらい荒れていた。

「水使うから? 手」
「……たぶん」
「だよなあ。俺が行っても、大抵水いじってんもんな」
「仕事なんだから仕方ないだろ。つーか放せ」
「おっと」

掴んでいた手を振り払い、みょうじは再び自分の手を机の上に置いた。

日誌は大半がみょうじのきれいな字で埋められ、後は今日の感想の欄のみ。これは日直二人が書かなければならないので、だからおれはこうして待っていた。

感想の欄にみょうじは「変な人(とくに痴漢)には気を付けましょう」と書き、おれの前に突き出した。

「おいこの変な人とか痴漢とか、まさかおれのことじゃねーだろうな」
「じゃあ気持ち悪い人に書き直すか?」
「おれかよ! 誰が好き好んで男触んだよ!」

腹が立ったので、自分の部分には「自意識過剰と妄想癖にも注意」と書き込んでおく。みょうじにはなんてことのない嫌味のようで、鼻で笑われて終わってしまったが。

ひとまずはこれで日直の仕事が終わりだ。
後は担任に提出すれば帰ってもいいことになっている。

筆箱やノートを鞄に詰めていると、ふと鞄の奥に小さなチューブが入っていることに気が付いた。
ああ、そういえばこの間、試供品とかでもらったっけ。

ちょうどいいやとそれを取り出して、顔を上げる。

「なあ、みょうじ」
「何」
「ちょい手え貸して」
「は?」
同じように帰る準備をしていたみょうじを呼んで、返答は待たずに片手を取った。
相変わらずがさついてはいたけれど、さっきよりも暖かい気がした。

チューブのふたを開けて、白いクリームをみょうじの手の上に少し出す。
ふわりといい匂いが漂った。

「……何してんの」
「ハンドクリーム、そういやもらったのあったなーと思って。これいい匂いだよな」
「じゃなくてなんで俺の手に塗ってんの出水が。きしょい」
「へーへー。おれ使わねーし、お前にやるよ」

指先にすりこむようにハンドクリームを塗ってやり、手を離す。
ついでに自分の手の匂いを嗅いでみた。こういうものは滅多に使わないけど、匂いは悪くない。

「なんかこれ花っぽい匂いする」

おれがそういうと、みょうじは自分の手にそっと鼻を近づけ、首を傾げた。

「……そう? 全然違うけど」
「花っぽいっつーか……んー」

何と言えばいいか、少し迷って。

「ああ、そうか。みょうじっぽい匂いなんだ」

いつもお前、花の匂いするだろ。

そう言うと、ぱち、とこげ茶色の目が見開かれる。

「……俺そんな花の匂いするか?」
「え、何気にしてんの」
「嫌いな奴もいるだろうが。全員が全員花の匂いが好きなわけないだろバカ」
「まあ、そりゃそうだけど。おれはけっこー好きだぜ?」

気持ち悪いこと言うなとか、そういう反応を想定していた。
けれど、みょうじは意外にも何も言わず、ふいと顔をそらした。

夕日が窓から降り注いで、みょうじの顔が赤く染まっているように見える。

「……馬鹿じゃねえの」

いつもより威力の低い悪態をついて、みょうじは鞄をかついだ。


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