□どこかの雨の日の話
半分くらい飲んでテーブルにマグを置き、横目で二宮を見やる。
どうやらふちに口をつけているだけで、中身はほとんど飲んでいないようだ。
いつもと違いすぎる様子に、再び同じ質問をする。
「何かあったのか」
「……なにも」
「嘘つくな。何もない人間が、そんな顔するか」
「何もない。……みょうじに言えることは、何も」
「…………」
言えないことはあった、ということか。
それと俺が留守にしていたことと、何か関係があるのだろうか。
あってもなくても、この分じゃ口を割らないだろうが。
二宮は中身が減っていないマグをテーブルに置き、ぼんやりと自分の手を見つめた。
しばらくそうして黙って、彼はぽつりと、独り言のようにつぶやいた。
「……俺じゃ、ダメだったのか。力不足だったのか」
「二宮」
「そうまでして遠征に行きたかったのか、あいつは」
「二宮、やめろ」
「答えろみょうじ! どうしてあいつは、鳩原は、」
突然激昂した二宮が、俺の胸ぐらをつかんだ。
ソファについていた腕は二人分の体重を支えきれず、彼もろとも倒れ込む。肘置きが背中を直撃して息がつまった。
俺が呻く声で我に返った二宮が、手を緩める。
一転して力がなくなったその手を掴んだ。
揺れるその目をまっすぐ見つめて、できるだけ淡々と聞こえるようにと口を開いた。
「落ち着け。……俺には言えないんだろ」
「…………」
「かん口令か守秘義務か知らないけど、だったら言わない方がいい」
ひどく残酷なことを言っている自覚はある。
ぱたぱたと、俺の頬に落ちてくる生暖かい雫がある。
「聞いたら俺は、きっと二宮に同情する。聞かなければ、何も知らないままお前を慰められる。何かしてほしいことがあるなら言え」
同情は、二宮が最も嫌う行為の一つだった。
「……言って、みょうじは、聞くのか」
「限度はあるけど、大概は」
さっき風呂に入ったというのに、二宮の手は既に冷え切っていた。
体温を分けることもできないまま、顔に次々落ちてくる水滴を甘受する。
何かをこらえるような二宮の薄い唇が開いた。
「俺を抱け、みょうじ」
「うん」
「抵抗するな」
「ああ。……それから?」
「……どこにも、行くな」
「わかった。約束する」
「絶対に、……絶対に、お前は、俺を置いて行くな」
「約束するよ」
二宮の手を離して、俺と同じ匂いがする二宮を抱き寄せた。
シューター1位で、遠征にも選ばれたくらいの実力者で。常に誰かの目標で、隊を引っ張って行って。
だからお前は、泣きたい時に泣ける強さも、誰かに縋る弱さも、どこかに置き去りにするしかなかったんだな。
服にしみてくる濡れた感触は、知らないふりをした。
(彼がA級を目指すのをやめた理由)
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