□ハートなんて恥ずかしい
二宮に多大な迷惑をかけつつ、俺と犬飼は正式に(この言い方もどうかと思うが)付き合うことになった。
そうは言えど、目に見えて変わったことなど、ほとんどないのだが。
落ち着いてしばらくして、傷も大分目立たなくなったので、マスクをつけて大学へ行ったら、二宮に思い切り殴られた。
「痛い」
「いっそ凹んじまえ」
「凹んだらそれはそれで面白いけど、新作出なくなるぞ」
「…………」
二発目のためか、スタンバイしていた拳がそっとひっこめられる。
次は再来月に刊行されるのでそれを待ってもらおう。
彼は深々とため息をつき、椅子に腰をかけた。
そして顔の半分を手で覆って、ちらりと俺を流し見る。その隣に座り、パソコンを取り出しながら疑問に答えた。
「そのうち、土下座か何かされるんじゃないか。メールや電話ですませるのはさすがにって言ってたから」
「そうか。まあ……任務にさほど、支障はなかったんだがな」
「そうなのか?」
「仕事はこなしていた。ただ、隊内の空気がめちゃくちゃに悪くなった」
「あいつやっぱり面倒くさいな」
「紛らわしい言い方をして、その面倒くささをいかんなく発揮させたのは誰だ」
「……心当たりがないな」
「やっぱりもう一度殴らせろこの欠陥人間」
びきりと青筋を立てた二宮から逃げながら、ようやく、いつも通りの日が帰ってきたのを感じていた。
とりあえず、心配をかけたお詫びと、代返やノートの礼として、手伝ってくれた全員を飲み屋へ連れて行くことになりそうである。
予測はしていたが、本当にカオスだった。
絡み酒の二宮と笑い上戸の太刀川に挟まれ、加古は笑顔でどんどん酒を注いでくる。
堤は最初の一杯だけビールを飲み、後は来馬とともにソフトドリンクと食事を楽しんでいた。裏切り者め。
さんざん飲まされ絡まれ、足元もおぼつかない二宮と太刀川をタクシーに放り込んで(堤たちが家まで付き添うらしい)、一応は女性である加古を家まで送って。
ようやく家に戻ったら、もう2時を回っていた。
「……はー……」
上着も脱がず、ソファに体を沈める。寝室まで行く元気がなかった。
体中タバコの匂いが染みついているし、二宮のリクエストで焼肉だったから、その匂いもするし。後で消臭しておかなければ。
寝転がったままのろのろと上着を脱ぎ、リュックを床に落とす。
ポケットから、携帯が滑り落ちた。何かの通知を知らせる光が、薄暗い部屋の中で目立って見える。
手を伸ばして内容を確認すると、犬飼からのラインだった。
「ねーいまひま?」
「もしかしてみてないの?」
「はーなーしーたーいー」
「みょうじさん、だいすき」
そんなメッセージがずらりと並んでいた。
少し上のログには「今日いくから」「ゴムまだある?」とか、ひたすら淡々とした文章しかないのに。
最後のメッセージは3時間ほど前だし、この時間帯なら、もう寝ているだろう。
「……」
下のメッセージ欄に指を置いて、どう返そうかと悩む。
今送ったら、読むのはきっと明日だろう。だから、読んだ時に驚くようなものがいい。
眠気でもたつく指をのそのそと動かして、たった一言を打つ。
それだけじゃ特にインパクトもないので、絵文字からひとつ選んで、読み直した。
「俺も好きだよ」
その後ろにはハートマーク。
自分でやって笑ってしまったが、なんとも似合わない。
どうせ明日また来るだろうし、今伝える必要もないか。画面をオフにしてから、大きく伸びをした。
そろそろ風呂に入らなければ、このまま寝そうだ。
立ち上がりながら、時間を確認するため再び携帯に目を落とし、俺は目を見開いた。
メッセージの頭に、既読の文字がついている。
あのハートマークのメッセージに。
「……は?」
今の、送ったのか。俺は。
オフにする時に指が触れたのかもしれない。というか、そうとしか考えられない。
間違えたと送るのも、誰かが勝手に送ったんだと弁解するのも、無理がある。
だらだらと冷や汗を流しながら、どうやってごまかそうかとその場を右往左往した。
そうこうしているうちに、新たなメッセージがぽこんと出てきた。思わず肩が震える。
おそるおそる、それを読んでみた。
「みょうじさん、よっぱらってる?」
見透かされていた。
……今一気に酔いはさめたが。
「送る前までは」
「なんかおかしいとおもったー ちょとびっくりしたw」
大笑いしているスタンプが送られ、少しだけイラっとした。
「本心だぞ」
それだけ打って、再びハートマークをつけ、送信する。
既読がついたことだけ確認し、すぐさま電源を切った。ソファに放り投げて、風呂場に行こうとして。
俺はずるずるとその場に座り込むと、顔を押さえた。
「……馬鹿だろ、俺……!」
全身が熱くて仕方がない。酔いはさめたはずなのに。
酔っ払いプラス深夜テンションって、恐ろしいな。
もう風呂に入って寝よう。今のやり取りは記憶から抹消しよう。
這うように風呂場に向かう俺は、まだ知らなかった。
メッセージを読んだ犬飼が、真夜中にも拘わらず、自転車を飛ばして俺の家に向かっていることなんて。
犬飼が俺の家に着くまで、あともう少し。
「みょうじさん! おれもだいすき!!」
「うん俺今風呂入ってるから。やめろこっち来んな」
End
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