数えきれない「愛してる」


二宮から「嵐が来る」という連絡をもらった、その数十分後。
俺は母親とともに、玄関の外に立っていた。母親の手にはスーツケースがある。

「それじゃなまえ、そろそろ行くわ。体に気を付けてね」
「母ちゃんこそ、酒飲みすぎるなよ」

突然モンゴルから戻ってきた母親は、やはり突然今度はメキシコに行くと言い出した。UFOが見たいそうだ。

シルバーの大きなスーツケースに少しの荷物と着換えを入れ、旅先で出会った人間と交流するための日本の品を詰める。それが彼女なりの準備だった。

母親は外の門扉を開けかけて、こちらを振りむいた。

「ねえ、本当に教えてくれないの? あの男の子のこと」
「……知られたくないからこうして追い出してるんだが」

彼女は、同性愛については偏見がない。
あちこちの国に行っているせいか、どんなことがあっても大して驚かない。
俺の兄が突然世紀末ファッションになっても真顔を貫いた人間だ。

その代わり、中年女性特有のゴシップ好きが数倍面倒くさい。息子の色恋事情なんて、確実にどこに惹かれたのか、経緯はどうなのか聞いてからかってくる。

ややこしいことになる前に、母親にはメキシコでも南極でも行ってほしかったのだ。

だかしかし。

「そう。……それなら、その思惑は外れたみたいよ」

「は?」

底意地の悪そうな笑みで、母親がある一点を指さす。家の前の道路が3つ股に分かれているところで、角は更地だ。
その向こうに、何かが動いている。

人のようだった。

「……もしかして」

もう来たのか。
本部から家まで、どれくらい離れていると思っている。

徐々に形をはっきりさせていくそれは、間違いなく。


「……はっ、はぁ、っ、みょうじ、さんっ!」


犬飼、だった。

ぜえぜえと荒い息で、犬飼が近づいてくる。

よほど急いできたのか、滝のような汗だ。慌てて母親を追い越して門扉を開け、うずくまって咳き込むその背中をさすってやる。

しばらくそうしていると、咳ばらいをしてから、相変わらず嫌な笑みを浮かべた母親が話しかけてきた。

「残念だけど、知っちゃったわね?」
「……母ちゃん」
「嘘よ。今日のところは二人にしておいてあげるわ。だけど、きちんと説明はしてよ」

そう言うと、母親はいまだ息が整わない犬飼に向けてウィンクした。

「うちの子をよろしくね、少年」
「年齢考えろババア」
「お黙りなさい朴念仁。それじゃ、Hasta la vista(また会いましょう)!」

スペイン語であいさつをして、大仰に頭を下げた母親が歩き出す。
心はすでにメキシコらしい。

振り返ることもせずに去って行った背中を見送っていたら、服の袖を控えめに引っ張られる。

犬飼が、不安げな瞳でこちらを見上げていた。

「あの、みょうじさん」
「……ああ。俺の母親だ」
「嘘でしょ! 若すぎない!?」
「人魚の肉食ったとか、アムリタ飲んだとか平気で言うからなあ。あれで50過ぎてるんだぞ」
「アンチエイジングしすぎでしょ!」
「まあな」

まだすこし苦しげだが、大分整った呼吸の犬飼を立たせる。
まっすぐこちらを見る目には俺が映りこんでいた。他の誰でもない。二宮でもない。

きれいな目だ、と思った。

「……とりあえず、家入るか」
「うん」

敷石を踏んで、玄関まで歩く。犬飼は無言だった。

先に家の中に彼を入れ、ドアをしめる。

鍵をかけようと手を伸ばしたら、後ろから抱きしめられた。

高い体温と激しい動悸は、走ったせいなのか、それとも。

「みょうじさん」
「答え、わかったんだな」
「……うん。二宮さんに言われて、やっと」
「お前には難しかったか?」

俺がからかってやると、意外にも素直に頷いた。

一旦体を放し、向き合う。犬飼の腕が所在なさげに揺れたので、今度は俺の方から抱きしめてやった。

一瞬だけ腕の中の体が固まって、それからさっきよりもきつく。

「難しかったけど。……でも、ちゃんとわかったよ」
「答えは?」
「……俺だけ言うのやだ、恥ずかしい。せーので言おう?」
「子供かお前」
「だって恥ずかしいんだもん」

だから「もん」をつけるなと。別に可愛くない。

仕方ないので、俺が先に言ってやることにした。

「犬飼」
「なに?」

「愛してる」

「…………」

俺の骨を折ろうとしているのかと疑うくらい強く、犬飼が腕に力をこめる。
その首や耳が真っ赤に染まっているのが、抱き合っている状態だとはっきり見えた。

背中をぽんぽんと、小さな子供にやるように優しく叩いてやると、犬飼が少しだけ顔を上げる。ゆでたように真っ赤な顔が、俺と額を合わせた。

「……俺も、みょうじさんのこと、大好き」

へへ、と照れくさそうに笑いながら、犬飼が言う。

その笑顔が愛おしくて、犬飼の顎をわずかに上に向けた。意図を察したのか、二つの瞼が閉じられる。睫が長い。

きれいだ、とまた思った。

もうしばらくその顔を堪能したかったが、これ以上待たせるのも悪い。
手を柔らかい頬にそっと滑らせて、唇を重ねた。

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