□5.小説家だったらしい
見るからに調子が悪そうだな、とは思っていた。
目に力がないし、少しやつれたような気もするし、足取りはふらついているし。
だが、まさか倒れるほど体調が悪いとも思っていなかった。
「二宮」
「堤か」
「ああ。みょうじの具合、どうだ?」
「まだ寝てるぞ」
医務室のベッドの上で、死んだように眠るみょうじ。
大学の教室移動の途中、廊下を歩いていたら唐突に倒れたのだ。
引き起こして呼びかけても返事はなく、何事かと医務室まで抱えていったら、診断結果は「寝不足」。やや過労気味、とも付け加えられたが、体調にはさほど問題はないとのことで。
しばらく寝せておけという言葉に従い、少し遅れたが講義に出席したのがつい先ほど。
様子見に来たらまだ眠っていて、そこにみょうじの代返を頼んでおいた堤がやってきたのだ。
堤は椅子を引き寄せ、俺の隣に座った。
「うわ、クマができてる。これは相当寝てないな」
「いきなりぶっ倒れたんだぞ。おかげで講義に遅れるわ、いい迷惑だ」
「けど、こうして見舞いに来るあたり、二宮も心配だったんだろ?」
「…………」
「蹴るなよ」
心配などというぬるいものではなく、ただ単に、今日はこの後でみょうじと合同の任務があるから、それに障らないかと思っただけだ。決して心配ではない。
俺の心情をよそに、みょうじの胸元まで上掛けを引き上げながら、堤はぽつんとつぶやいた。
「最近、雑誌の締め切りが早まったって言ってたしなあ……」
「? 雑誌?」
思わず聞き返す。すると堤は、うん、雑誌と答え、鞄から大学の書店の紙袋を取り出した。
その中から出てきたのは、文芸誌。
「これに連載してるんだよ、みょうじ。その締め切りに追われてたんだと思う」
「ああ、確かに締め切りがどうのとは、いつも言ってるが……」
「だろ? えーと……あった、ここだ」
新品の雑誌をぱらぱらとめくり、堤がある部分を指さす。
覗き込むと、確かに文章が掲載されている。途中の書き出しだけでもなかなか面白そうだ。意外だ、こいつにこんな才能があったとは。
「興味があるなら、本買ってみたらどうだ? これはまだ単行本になってないけど、他の作品なら大学の書店にもあるだろうから」
「そうなのか。著者名は、」
文章が始まる横、題名と著者名が書かれている部分に目を移した。
そして固まった。
「……『森嶋なまえ』……?」
「二宮? どうした?」
……そういえば、みょうじの下の名前は、「なまえ」だったか。
いや、だが、もしかしたらみょうじが騙っている可能性もある。もしくは憧れで同じ名前を使っているとか。よく考えろ、実は字が違うとか、そんな落ちだろう。
結局5限目が終わってもみょうじは起きず、任務どころではないので堤に家に搬送され。
俺は俺で、事実の確認ができず、悶々とした一日を過ごした。
その次の日。
奇しくも彼と最初に会った時の授業で、みょうじはその時と同じく、最後列でパソコンを叩いていた。どうやら体調は悪くなさそうだ。
いつもはさっさとその隣に座るのだが、今日はこっそりと後ろからみょうじのパソコンを覗いてみる。
まずいかと思ったが、意外に気づかれず、肩ごしに画面を見ることができた。
開かれているのはワードで、そこにどんどん文字列が追加されていく。
上から目を滑らせていって、ある一部分でとまった。
『薄衣の少女は口を開かないまま、枯れ木のような細い指を突き付けた。一連の事件、それを引き起こした犯人である、』
「やっぱり犯人はそいつか」
「うわ」
ようやくみょうじが俺に気が付き、珍しく肩を揺らした。
俺を振り向いて、声に幾らかの非難の色をにじませ、みょうじは言う。
「勝手に見るなよ。驚くだろ」
「大して驚いた顔もしてないくせに、何言ってやがる」
「驚いてるんだけどな、これでも」
「まあそれはどうでもいい。…………みょうじ、それは」
それ、と言いながら文章を指さす。すると、やはりこともなげにみょうじは答えた。
「ああ、次出すやつ。二宮、前編買ってたろ」
学期の初め、彼と初めて会った時、俺が書店で買った本。前後編に別れた続きもので、早く次が出ないかと、待ち遠しく思っていた。
つまり、だ。
「お前が森嶋なまえか……っ!」
「おいなんで残念そうなんだ」
額を手で覆ってその場にしゃがみこむと、不服そうな声が聞こえた。
憧れていた作家の正体がコイツかよ、という思いと、続きもまた面白そうで何よりだ、という思いと、その他もろもろ。
それらが複雑に絡み合って、なんというか、そう。
「世間、狭すぎるだろ……」
「そんなに俺が小説家なのが不満なのか」
不満なわけではない。
ただ、たまたま大学で会って付き合いのある人間が、同じ組織に所属し、知り合いの友人で、しかも憧れていた作家だったと来れば、いくらなんでも世間の狭さを感じずにはいられない。
まあ別に小説家だったからと言って、対応を変えることはしないが。
「……次はいつ出るんだ?」
「早ければ来月」
「……そうか」
対応は変えないが、後編は初版本を買おう。
「というかなんで言わなかったんだ」
「だって聞かなかっただろ」
「聞くかそんなもん!」
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