□夕焼け衝動
今日は出水くんがいなかったからいいようなものの、ずっと彼がいないわけじゃない。
明日になったら来るだろうし、しかも同じクラスだ。いつまでも逃げ切れるわけもない。
どうやってもいい考えは浮かばなくて、僕はため息をついて、ぽつんとつぶやいた。
「気まずいなあ……」
「何がだ?」
独り言のはずなのに、なぜか答えが返ってくる。
聞きなれていて、それでいて、今一番聞きたくない声。足元を見ると、僕の影ともう一つ、誰かの影があった。
嫌だと頭で思っていても、体はゆっくりと、後ろを振り向いてしまった。
「……い、出水、くん……」
「よー」
制服ではなく、ラフなパーカー姿の出水くん。
夕日に照らされたその顔は、昨日と同じはずなのに、全く違うように見える。僕が思わず後ろに一歩引くと、出水くんはネコのような目を眇め、僕の腕をつかんだ。
「え、っと」
「ちょっと来いよ」
「うわっ」
思いのほか強い力で腕を引っ張られて、少し前のめりになる。
そんな僕に構わず、彼は大股でどこかへ向けて歩き出した。細い背中が、やけに目に鮮やかに映った。
何もしゃべらない出水くんに連れられ、たどり着いた先は、なんと放置区域。
確かにボーダーなら入っても問題はないだろうけど、なんでこんなところに連れてこられたのだろう。
出水くんは少し歩いて、やがて足を止めた。僕の腕はつかんだままだった。
今、謝った方がいいのだろうか。
どんな結果になるにせよ、謝らなければならないし。
「……あの、出水く、」
「みょうじ」
僕の言葉を遮って、出水くんがこちらを向いた。
腕を放して、彼は僕の頭を両手で押さえた。
どきりとしたのもつかの間、次の瞬間、ごちんといい音を立てて、額と額がぶつかる。
目の前に火花が散った。
「いっ……!!」
「ってえ……。……これで、昨日の分返したからな」
「う、うん……」
すごく痛い。ふらふらする。
出水くんは片手で自分の額を押さえて(若干涙目だ)、もう片方の手で再び僕の腕をつかんだ。
逃げないようにだろうか。昨日逃げたし。
「わだかまりなくなったところで、ちゃんと聞くわ。昨日、どうしてキスした?」
「え」
「逃げんなよ。ここ誰もいねーから聞かれる心配もないし、もしお前が逃げても、おれはトリガーあんだからな」
それは職権乱用というものじゃないだろうか。
だけど、真正面からそんなことを言われ、僕は大いに戸惑った。
どうして、って。
そんなことを言われても、きちんとした理由があるわけじゃない。ただ、きれいだなって思ったから。
言葉にならない言葉をしどろもどろにつぶやいていたら、出水くんの眉が少しだけ下がった。
額を押さえていた手も、僕の腕に回って、弱弱しくつかむ。
逃げようと思えばきっとすぐにでも逃げられるけど、どうしてか足が動かない。
「……言えって」
「う、あ、えっと、その」
「言えよ。……おれは、それが欲しいんだ」
それ、ってなんだろう。
わからなくて、頭突きをされた額が痛くて、掴まれた腕が熱くて、夕日の中の出水くんがきれいで。
「い、……出水くんが、すきだから」
全部全部すっ飛ばして、ようやく口から出たまともな文章は、その言葉だけだった。
一気に胸のつかえがとれたような気がした。
ちらりと出水くんを伺うと、固まっている。
口は半分開いたままで、目もこれでもかと見開かれたままで。
だけど、こわばった頬がゆるやかにほどけて、じわじわと赤く染まっていく。真っ赤な太陽の光に負けないくらいだった。
「さんきゅー」
「う、うん」
どきどきどきと、胸がうるさい。
つかえは取れても、こんなに騒がしいんじゃ結局は同じだ。
「なあ、みょうじ」
出水くんは再び僕の頭に手を添えて、今度はそっと額同士をくっつけた。
僕より少し背の低い彼の目が、いたずらっぽくこちらを見上げている。
「今から、友達やめようぜ」
「え」
「で、おれのこと、みょうじの彼氏にして」
「え!?」
「ダメ?」
「だ、ダメじゃないけど、い、いいの?」
「みょうじがいいんだよ」
至近距離で、そう言って微笑む彼が、やはりきれいだったので。
うん、と頷くことしか、僕に選択肢はなかったのである。
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