4.家族が自由すぎる


新聞の天気予報欄では、降水確率20%となっていた。

「20%に当たるって、ある意味すごいよな」
「言ってる場合か。どうするんだ、この雨」

大学帰り、怪しい名前の喫茶店から出て、しばらく歩いたころ、突然雨が降り出した。
スコール並の勢いで、運の悪いことに、この近くに傘を取り扱う店はない。
シャッターを閉じた店の下で、みょうじとともに雨宿りをしている現状だ。

「まあ、止むまで待つか、濡れるの覚悟で行くかだな」
「結局それか……。ちっ」
「禁じ手としてトリガーを起動して行く手もある」
「戦闘・訓練時以外のトリガー起動は規定違反だ」
「だから禁じ手だって言っただろ」

みょうじは庇の下から手を外に差し出して、雨に打たせている。
数秒もしないうちにびしょ濡れになった手を払い、止むまでどのくらいだろうな、と呟いた。
ばしゃばしゃと走って行くサラリーマンを見送って、いっそ本当に走っていくかと考える。家に帰って着替えればそれでいいだろう。
しかし、走ったとして、鞄の中のものがどうなるかが心配だ。

ふと、みょうじがこちらに顔を向けた。

「二宮、これから予定あるか?」
「あ? 特にはないな」
「じゃあ、もう一つ提案だ」

みょうじはリュックの中をごそごそとあさり、場所を開けると、そこに携帯を入れ、その上に財布を押し込んだ。

「俺の家行こう」


みょうじの家は、俺の家よりは近かった。
あくまで近かっただけで、それなりの距離はある。
鞄を抱え、水たまりを踏みながらとにかく走り、やがて瓦ぶきの屋根が見えてきた。門扉を開いたみょうじに促され、足を進める。

「鞄無事か?」
「わからん。そっちこそ、パソコンは大丈夫なのか?」
「バックアップは取ってあるから」

諦めなのか前向きなのかわからない返答を返し、みょうじが扉を開ける。
他人の家独特の空気が漂ってきたのを感じていると、先に彼が入ったので、俺もそれに続いた。髪から水が滴った。
みょうじはマットの上にリュックを置いて、どこかへ消えていく。
戻ってきたときには、バスタオルを抱えていた。

「ほら、拭け」
「悪いな」
「気にするな。……やっぱり濡れたな。着換え貸すか?」

提案されて、思わずみょうじと自分の体格を見比べる。
身長こそ数センチの差だが、みょうじの服は俺には小さそうだ。だから首を振ると、付け足すように「兄のだから俺よりでかいぞ」と告げられた。兄がいたらしい。

「いいのか? 勝手に借りても」
「どうせ置いてったやつだし。とりあえず上がれ、後で水は拭くから」
「ああ。邪魔するぞ」

靴を脱いで、一応濡れた靴下を脱ぐ。足を拭くとき、はたと下駄箱にみょうじの靴しかないことに気が付いた。話しぶりからして兄はすでに家にいないようだが。
髪をふきながらついていくと、畳敷きの和室に到着した。
押入れを開けて、プラスチックの衣装ケースを取り出し、蓋をあけると、わずかに防虫剤の匂いがする。

「これでいいか?」
「ああ、ありが……」

べろん、とトレーナーが広げられ、思わず口を閉ざす。

控えめに言うのなら、……何を意図して作ったのかわからない服だった。
なぜ胸に鋲がついているのか、なぜ裾にファーが付いているのか。なぜ髑髏マークが一面にプリントされているのか。

「ダメか」
「お前面白がって渡しただろ」
「意外と着るかと思ったんだが。こっちならいいだろ」

次に渡されたのはシンプルなシャツ。
裾にやはりバラと十字架と髑髏がプリントされていたが、さきほどのものよりはずっとましだ。

礼を言ってからそれを着て、ズボンも借りた。
脱いだ服は、大分泥はねがひどかったのと、みょうじも洗うというので、厚意に甘えて洗濯させてもらうことにした。鞄の中身も、幸いそれほどひどくはない。
着換えを終えてリビングへ行くと、みょうじがソファを指さして言った。

「コーヒーでも淹れるから、そのへん座ってろ」
「何から何まで悪いな。何か手伝うか?」
「じゃあ、マグ持ってきてくれ。そこの棚」

指をさされたところにあった棚から、二つカップを取り出す。
それを渡しながら、気になっていたことを聞いてみた。

「お前、一人暮らしなのか?」

靴はみょうじのものがあるだけ。食器類も一人分しか使われた形跡がない。現にマグカップの底が、薄く埃をかぶっているのだ。一軒家でまさかとも思ったが、みょうじは特に驚いた様子もなく、あっさり答える。

「そうだよ。兄は県外だし、母親も滅多に帰ってこない」
「父親は?」
「中学の時に病気で」
「……すまない」
「もう何年も前だから気にするな」

やかんを火にかけ、みょうじは窓辺へと歩み寄った。木製のフレームに入った写真をこちらに差し出してきたので、受け取って見てみる。
そして固まった。

「…………いつのだ?」
「右が15年前、左が今年」

なんだこの(悲)劇的ビフォーアフター。

15年前だという写真には、柔和な笑みを浮かべる背の高い男性。これが亡くなったという父親だろう。目元のあたりが似ている。
その隣には、小さい子供を抱いて微笑む女性。抱かれているのは幼いころのみょうじらしく、このころからすでに真顔が染みついているようだ。そして、父親と手を繋いでいる背の高い少年。見るからに活発そうな笑顔で、本当にみょうじの兄弟だろうかと疑わしい。

……対する今年の写真。
女性にも目はいったが、何よりも、兄の方に目が行った。
あの服の持ち主だから少しは想像もついていたが、それをはるかに上回る。

白塗りの顔、虹色のモヒカン、鋭い鋲がついた肩パッドに、同じく鋲がついた首輪。中指をたてて舌を出しているが、その舌や鼻に大量のピアス。その隣で真顔で立つみょうじ。

「……お前の兄は、……なんなんだ?」
「今は三門市の外で保育士」
「嘘つけ!!」
「マジ」
「子供泣くだろ!」
「俺もそう思う。でも今度、シングルマザーの人と結婚するらしい」
「…………」
「これは、中学あがったらいきなり目覚めたらしくてな」

目覚めたのなら、再び眠らせておけばよかったものを。

親は何も言わなかったのだろうか。……言わなかったんだろう。
ここまで来ると、逆に教育方針が気になってくる。滅多に帰らない母親、ということは、超放任主義か。

「……母親は」
「世界あちこち飛び回ってる。俺が大学受かったって連絡したら、ナザールボンジュウとかいうの持って帰ってきた。この写真撮った次の日にはアラスカ行くって」
「なざ……なんだと?」
「トルコのお守りだそうだ」

こちらにコーヒーを差し出しながら、みょうじが壁を指さす。
そちらを見ると、青を基調とした美しい飾りが下げられていた。それほどの大きさはなく、クジャクの羽のような模様だ。

この小さなお守りを届けるためだけに、わざわざトルコから日本まで帰ってきたのか。

「……仲がよさそうだな」
「そうか?」

みょうじが首をひねった。

突然何かに目覚めた兄をさほど気にしていなかったり、滅多に帰ってこない親を疎んではいなさそうだったり。
自由すぎる家族なのに、むしろ誇りさえ持っていそうだ。

超放任主義も、場合によっては功を奏すのだろうか。


でもコイツに関してだけは、若干失敗しているのではないかと思う。

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