□嬉しいのなら、そう言えば?
「…………」
「……二宮さん、犬飼先輩がいい加減ウザいです」
「ほっとけ」
犬飼にプリントを持たせ、みょうじの家に送り出してから、3日が経った。
翌日隊室に顔を出した部下は、幽鬼もかくやという顔をして、ずっと机に伏せたまま動かなかった。任務に引っ張って行けば、死んだ魚のような目で八つ当たりのごとく弾を撒き、近界民を倒すから、支障がないと言えばない。
しかし、隊の中の空気は最悪。
この様子だと、どうやらダメだったか。
俺が見たところでは、うまくいきそうな気がしたのだが。
今日もどんよりと重たい空気を漂わせつつ、ソファに寝転がる犬飼。
辻は鬱陶しがって寄って行かないし、氷見はそっとしておこうと決めたらしく何も触れない。
俺も、正直どう接すればいいかわからなかった。
「……あ、あの、犬飼くん」
一人だけ、いた。
勇者が。
鳩原が、犬飼にそっと缶コーヒーを差し出す。
ゾンビのように顔を上げた犬飼は、鳩原の顔を見ると、再び顔を落とした。その様子に困ったように笑って、鳩原は再び声をかける。
「え、えっと、どうしたの? 最近結構落ち込んでるけど……」
「……別に。……ふられただけ」
やっぱり駄目だったのか。
辻がこそっと「みょうじさんですか?」と聞いてきたので、頷きを返す。
ぼそぼそと聞き取りづらい声で鳩原がなおも話しかけると、犬飼は再び顔をあげた。よく見ると、泣きでもしたのか目元が赤くなっている。
「だって、もう完全に脈ないし。……死んだっていいくらいだって言ったのに、こっち見もしないで空見てるし」
「……ん?」
死んだっていい、だと?
「……待て、犬飼」
「二宮さん……」
「あいつ、どういう状況で、どう返してきたんだ?」
みょうじはもしかして、ものすごく遠まわしな言い方をしたのではないだろうか。
犬飼は鳩原に促され、ソファに座りなおして、時折ぐすぐす鼻を鳴らしながらその時のことを話し始めた。
「俺、みょうじさんのことが好きだ」
犬飼がそう言ったらあいつは、ものすごく驚いた顔をしたのだと言う。
基本的に表情の変わらないあいつが、目に見えて表情を変えたというのなら、それはたいそう見物だったことだろう。
そしてその後に、しばし考え込んで、
「きっとそれは、お前の勘違いだ」
と、拒否ともとれる言葉を返してきた。
そこまで来てまだ逃げをうつつもりだったのかと俺は呆れたが、犬飼は腕をつかんで、必死でそんなものではないことを林に説明しようとした。
ここで引けば、もうみょうじは二度と取り合わないはず。
そうなることだけは回避したかったから、必死で食い下がり、どうにかつなぎとめようとした。
「ちがう、そんなんじゃない! 俺、二宮さんと一緒にいるより、みょうじさんと一緒にいたほうが、どきどきして、ずっと一緒にいたいって思うんだ! 本当だから、信じてよ!
……信じてくれたら、死んだっていいくらい本気だから!」
必死すぎるその言い様に、みょうじは何を思ったのか、不意に空を見上げだした。そして、犬飼の方を見ず、ただ一言だけ言ったのだそうだ。
「なんて言ってたの?」
「……『月が綺麗だな』って」
「…………」
「それから、女の人がみょうじさんのこと呼んで。いいから帰れって、締め出されました」
「…………」
正直に言おう。
「お前ら、本ッ当に、面倒くせえな!」
「あだあっ!?」
心の底から叫び、犬飼の頭を渾身の力を込めて殴る。
トリオン体ではないから手が痛い。もしトリオン体だったらメテオラのフルアタックでぶっ飛ばしているところだが。
犬飼もそうだが、みょうじにも腹が立つ。こいつが絶対にわからないと踏んだうえで、そんなことを言ったのだ。
自分も同じ気持ちだったくせに。
「犬飼くん、それは……」
「鳩原、言うな。巻き込まれるぞ」
「え、え、な、何が!?」
全く何もわかっていない犬飼の頭をもう一度殴る。いっそ凹め。
「いいか犬飼、最後だ。……その言葉と、『死んでもいい』のあとに『文豪』と入れて検索しろ。それでもわからないならお前を完膚なきまで叩きのめす」
「うええ!? な、なんで!?」
「調べればわかる。あとお前が前から気にしているその女は、みょうじの母親だ」
「……………………」
絶句する犬飼と、呆れ顔の3人を残し、俺は隊室を後にした。
「みょうじ!! 回りくどいのもいい加減にしろ! こっちが迷惑だ!」
『なんだいきなり』
「とぼけるな! ったく……。素直に返せばよかったものを」
『殴られた分の意趣返しも含めてな』
「はあ……。さっき隊室を何かが飛び出していったから、しばらくしたら嵐が来るぞ」
『……心構えはしておいたけど、平気かな』
「平気じゃなくてももう頼るな。俺は知らん」
『何かあったら頼れって言ったじゃないか』
「それはお前が青木ヶ原とか縁起でもないことを言うからだ。痴話げんかに関わるつもりはない」
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