□3.物事に動じない
下品です。ご注意ください。
次の教室に移動するため、校内をみょうじとともに歩いていた時の事。
不意に、みょうじが「あ」と声を上げた。
「どうした?」
「USB、前の教室に置いてきたかも」
「は? 筆箱の中に入れていたんじゃないのか?」
「いや、今日ボールペンしか持ってないんだ。だからポケットに入れてたんだが」
黒いジーンズのポケットをしきりに探っている。
今日は筆箱を忘れたようで、売店でボールペンだけ買ったらしい。どうせノートはパソコンでとるくせに。
USBほど小さなものだと持ち去られてしまう可能性もあるため、仕方なく、前の教室に戻ることにした。必修の授業についてみょうじに聞きたいこともあったので、俺も付き添う。
プリントのまとめ方や資格取得科目について話しながら歩いていくと、前方から、背の高い、見覚えのある女子学生が歩いてくるのが見えた。
向こうも俺たちに気が付いたのか、血色のいい唇に笑みを引き、こちらへ歩み寄ってくる。
「お疲れさま、二宮くん、みょうじくん」
「加古か。珍しいな、朝にいるのは」
「補講があったのよ」
加古望。優秀なシューターであり、その容姿の美しさと戦闘のすさまじさで、ボーダーの有名人だ。
笑顔で敵をいじめぬく女は、みょうじの方を向くと、にっこりと微笑んだ。
「みょうじくんとははじめましてね。太刀川くんに話は聞いてるわ」
「ああ、ヒゲが。俺も名前だけは知ってた。初めまして」
「ええ、ヒゲよ。よろしくね」
情報源は太刀川、もといヒゲらしく、お互いに初対面のようだった。
お互いに挨拶をし終えると、ところで、と加古が話題を振る。
「あなたたち、もしかして352に用?」
352、とは教室の名前だ。そしてまさしく、みょうじがUSBを忘れたかもという教室でもある。彼が頷くと、加古は渋い顔をした。この顔は相当不機嫌なときの顔だ。
心底汚らわしい、と言いたげな声で、彼女は言葉を続ける。
「やめた方がいいわよ」
「なんでだ?」
「……見ればわかるわ」
含んだ言い方で、加古は教室を指さす。一見無人のようだが、何事だろうか。
言われるがまま、扉についた小窓からそっと中を覗く。そして、俺はようやく加古の言ったことを理解し、同じように顔をしかめた。
教室のど真ん中で、絡み合う半裸の男女。
声は聞こえない(聞きたくもない)が、どうやら合意の上のようだ。女は笑顔で男に応じている。
これでは、確かに中に入れない。というか、次回から使用したくない。
「……あのサルども……」
「私も、1限の補講の時、中にポーチを忘れちゃったのよ。取りに来たらもう真っ最中だし……」
「ったく……教務課に連絡を……みょうじ?」
携帯を取り出し、教務課に通報しようとしたら、なぜかみょうじがすたすたと扉へ歩み寄っていった。
思わず肩を引いて止めると、無表情ながら不思議そうな雰囲気を出している。多少感情が読み取れたことを少し誇らしく思うも束の間、彼はあっさり制止を無視した。
本番真っ最中の教室の扉と躊躇なく開ける。途端に固まる男女には目もくれず、自分が座っていた席へと向かうみょうじ。
俺と加古も固まった。
「えーと……ああ、あった」
そして何事もなかったかのように、見つけたUSBをポケットに入れ、こちらへと再び戻ってくる。
かと思いきや、半ばで足を止め、加古を呼んだ。
「な、なに?」
「さっき、どこにポーチ忘れたんだ?」
「え? ああ、えっと、真ん中の、前から3列目の端よ」
「そうか」
戸惑う加古も、唖然とする俺も、何がなんだかわかっていない様子の男女も無視し、みょうじは、今度は加古の席へと向かう。
そして蝶のマークがついたシックなポーチを手にすると、さっさと戻ってきた。
ここでようやく、頭から冷水を浴びせられた心地だろう二人が我に返る。
女子学生は金切り声を上げて体を隠し、男子学生は慌ててみょうじの元へと駆け寄ると、ポーチを加古へ手渡したその肩をつかんだ。
「おい! お前何入って来てんだよ! 頭おかしいんじゃねえの!?」
正直同感である。
「いや、別にここお前の教室じゃないだろ」
「だからって、ヤッてる最中に入ってくるかフツー!? きめーよお前、マジありえねー! 学生証出せよ!」
「? なんでだ?」
全面的に、とは言わないが、8割はみょうじが正しいだろう。
ここは公共の場だし、そんなところで盛っていたほうが悪い。
だが、どうしてだろうか、よくやった、という気にならないのは。
「あークソ、マジで最悪だよ! アイツの裸見やがって! 責任とれよ!」
「あら。むしろこっちが、そんな粗末なもの見せられて慰謝料もらいたいくらいだわ」
加古が参戦した。
澄ました顏でそんなことを言う彼女にもびっくりだが、確かに、言われても仕方ないサイズのものを持っている男だった。
途端にしおれた男に、みょうじがとどめをさす。
そっとUSBをかざし、一言。
「やっぱり小さいよな」
撃墜。
まるでアリに核爆弾を落とすような所業だと思いつつも、不快だったのは変わりないので俺もフォローはしない。
じゃあ行くかとあっさりみょうじは踵を返して、俺もそれに続いた。
加古もくすくすと笑いながら倣う。ちらりと後ろを伺うと、男は膝から崩れ落ちていた。
外に出ると、こらえきれなくなったように加古が笑いだした。
「ああ、面白かった。ふふ、本当に男の人ってそのくらいでショック受けるのね」
「ヒゲ情報か?」
「いいえ、友達からよ。それにしても、みょうじくん、凄いわね。全然動じないし」
みょうじに片腕を絡ませ、加古が笑う。
(容姿だけは)美しい彼女にそんなことをされても、みょうじは大して表情を変えず、ただ首をかしげるだけだ。
ますます気に入ったのか、加古は腕を組んだまま、スキニージーンズのポケットから携帯を取りだした。シンプルな革のカバーを外し、画面をずいとみょうじの目の前に突き出す。
「ねえ、ライン教えて。ポーチのお礼に、今度食事でも行きましょ」
「ああ、わかった」
ラインのIDを交換している二人を見て、俺はようやく、そういえばコイツの連絡先を知らなかったことを思いだした。
「みょうじ、俺もライン聞いていいか」
「え? 二宮ってラインするのか?」
「お前俺をなんだと思ってるんだ」
「てっきり便せんに季節の挨拶から始めるもんだと」
「よし、メテオラかアステロイドか選ばせてやる」
「あら、仲がいいのね」
prev nexttop