この痛みに慣れるには、少し時間がかかりそうだ


なまえがカウンセリングに通い始めて、今日で1か月。
まだ表立った変化はない。

というか、今はまだ、原因となる出来事について全く話していないようだった。

発声訓練をして、雑談を(手話でやっているらしい)して、一回だけ箱庭治療もやったみたいだけれど、そのくらい。相変わらず声は出ていない。

一つだけ変わったことがあるとしたら、今まで一貫して筆談を行ってきた彼が、時たま、手話をするようになったことだろうか。
聞けば、カウンセリングでは、先生と手話でコミュニケーションをとっているらしい。

思わず出てしまうようで、こちらがきょとんとすると、慌てて画用紙を取って文字を書く。そして決まってごめんね、と謝るのだ。

ずっと一緒にいるのに、おれが手話を勉強していないのは、単純に言ってその難解さもある。ことボーダーにおいて、それに関する言葉は50音の中から組み合わせて動かさなければならないし、なまえは手を動かすより、文字を書いたほうが早い。

そして、もう二度となまえが話さないとおれの中で決めつけてしまうようで、どうしても躊躇っていた。
今にして思えば、甘えていたのかもしれない。


「……ん?」

陽太郎のために画用紙に絵を描いてやっているなまえの後姿を見ていたら、ふと未来が視えた。
なまえが誰かと、手話で話している。それもかなり親しげに。
知らない人間だ。

おれが悶々としていると、なまえは描き上がった絵を陽太郎に渡した。

「…………」
「おお! ジ●ニャンとピカ●ュウ! そろいぶみだ!」
「そのチョイス色々やばくない?」

無邪気に喜ぶ陽太郎に、形だけ突っ込みを入れる。

頭の中は、なまえと話すそいつのことでいっぱいだ。男なのか、女なのか。親戚か、なまえの友達か。

明日のカウンセリングに一人で行かせるとそいつと会う、とおれのサイドエフェクトが言っているので、回避する方法は一つだ。

「なまえ」
「?」

名前を呼ぶと、今度はミュ●ツーを画用紙に描いていたなまえがこちらを振り向く。首をかしげる仕草をする彼に、内心の動揺を悟られないよう、笑ってつづけた。

「明日、カウンセリングの前にどこか遊びに行かないか? 買い物付き合ってよ」
「…………」
「おれも行くぞ、じん!」
「陽太郎は幼稚園があるだろー。どう?」

大学がないのは把握済み。なまえは笑顔でうなずいてくれた。

わずかに握りしめられた手に、おれは気づくことができなかった。



翌日。
さわやかに晴れて、いよいよ夏の訪れを感じさせる陽気だ。
買い物と言っても、別に取り立てて必要なものもなかったので、お互いの服を見繕うことにした。
なまえはおれがあげたピアスを着けてくれていたので、それに合わせて上下を揃える。

ふざけてレディースのワンピースを指さしたら、笑顔でビキニを指さされたのですぐ謝った。きわどい水着をプレゼントされる未来は回避できた。

「なまえ、これとかどう?」
「…………」

薄手のベストを差し出してみると、なまえは少し考えた後、手のひらを上にしてゆらゆらと動かした。
おれが固まると、途中で気が付いたようにその動作をやめ、ポケットから携帯を取り出す。

『水色のほうがいいかな』
「……水色かー。ならこっちかな」

隣にあった色違いを取り、見せる。
すると今度は気に入ったらしく、こくこくと頷いた。
そしてその後、やはりいつもの文字を見せてきた。

『ごめんね』

「大丈夫だって。おれこそごめんね」
「…………」

なまえは苦笑いして、ベストをカゴの中にいれた。
今度はおれの帽子を見るらしく、腕を引っ張られた。

引かれるままに着いて行きながら、また未来を視る。そして、おれは心の底から、服を買いに行くという選択を後悔した。

「あれ、お前、みょうじ?」

帽子の手前、靴のコーナーから出てきた男が、なまえを見てそう声をあげた。
なまえは立ち止まり、そいつのほうを振り向く。

首をかしげるその姿を見て安堵するもつかの間、男は自分を指さし、言った。

「ほら、俺だよ。小学校のときよく一緒に遊んだだろ?」
「…………。……!」

手を叩き、男を指さす。カゴが落ちそうになったのですかさずキャッチした。
気づいたなまえが、慌てておれに頭を下げる。

「…………!」
「ん、いーよ。それより、その人は?」
「ああ、俺、昔三門市に住んでた木村って言います。小学生のとき、コイツとよくつるんでたんですよ」

なあ、と同意を求められ、なまえは嬉しそうに頷いた。

背が高くて、切りそろえられた短髪はいかにも好青年です、って感じで。礼儀正しく挨拶もされているのに、どうしてか、気に喰わないと思った。

「おれは迅です。なまえの同級生ってことは、おれともタメだろ。敬語はいいよ」
「あ、そうか? ありがとな。……にしても、久しぶりだな! 8年ぶりか?」

なまえは笑って首を振り、手で9を作った。
木村と名乗った彼は、なまえの仕草を見て首をかしげる。

「みょうじ、なんか静かすぎねえ? お前授業中とか、何にかわかんないけど、しょっちゅうツボって笑って注意されてたのに」
「…………」

すこし困ったように笑って、なまえが携帯を取り出し、何事か打つ。出来上がった文章を見ると、木村は目を見開いた後、うーん、と唸った。
おそらく自分が話せないことを告げたのだろうと予測を立てる。

そして次の瞬間、彼は首をかしげながら右手を胸の前に当て、左から右へと動かした。
なまえの動きがぴたりと止まる。それからゆっくりと、同じ動作を頷きながら行った。

再びなまえは右手を動かし、まるで電話の形のような手を鼻にあて、前方に出す。

「俺、手話サークル入ってんだよ。って言っても、今やった『大丈夫か』とか、『どうして』とか、あと簡単な挨拶くらいしかできないけど」
「…………!」
「にしても大変だなー。声出ないって。まあ、お前はあんま困ってそうじゃねーな」
「…………」

なまえが少しむくれて、ぱぱぱっと手を動かす。
早い、わからないと木村が笑った。


おれはただ、黙って見ているしかなかった。

お題:確かに恋だった


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