□これでも好きと言えますか
お疲れ、と好きな人の声がした。
作戦室の入り口を見ると、疲れたような顔の二宮さんが入ってきていた。どこか弱弱しい足取りで自分の席に着くと、ため息をつき、なぜか俺の名前を呼んだ。
「はい? なんですか、二宮さん」
「話がある。辻、鳩原、氷見。悪いが席を外してくれ。ついでに人払いを頼む」
「え? え?」
不思議そうにしながらも、3人は言われた通りに二宮隊の作戦室を出ていく。
あっという間に俺と二宮さんの二人だけになって、なんだかきまりが悪い。
「(……あれ、おかしくない?)」
好きな人と二人きり。
こんな状況になったら、普通はもっとどきどきするもんなんじゃないか。いつもうるさく跳ねていた心臓にそっと触るも、ゆっくりとした鼓動が伝わってくるだけ。
不思議だった。
「犬飼」
「はい!」
名前を呼ばれ、姿勢を改める。
俺を見る二宮さんの表情は、いつもと違っている。呆れているというか、……傷ついているというか。
何事だろうとしばらく言葉を待っていたら、二宮さんはあの人の名前を口にした。
「……みょうじのことだが」
「……はい」
「いままでのことを、全て聞いた」
がつん、と頭を殴られたような衝撃。
だけど、すぐにこれが普通だと思いなおす。
今回あれだけひどく殴って、その前だって何度も殴って無理やり行為をして、二宮さんに伝わらなかったほうがおかしいのだ。
ぐっと手を握りしめて視線を机に落とした。
だが、次に二宮さんの口から出た言葉は、まるきり意外なものだった。
「すまなかった、だそうだ」
「……へ?」
「お前を傷つけるようなことを言ってすまなかったと、みょうじが言っていた」
「…………」
みょうじさん、とつぶやいたつもりだったが、声が出なかった。
ずっと迷惑をかけている自覚はあった。
だから、それをはっきり言われても怒らないようにと心構えはしていたのだけれど、実際に言われてみたら、想像していたよりもずっと衝撃が大きくて。
前よりもよほど強く惨く暴力を振るって、それから俺は彼に会っていない。
「それで、だ」
「…………」
ふんぞり返っていた二宮さんが机に肘をつき、改めて俺を見る。というより、睨む。
「はっきり言え。犬飼、お前、どうしてみょうじに女がいて腹が立つんだ」
「え? ……それ、は……」
それは。
みょうじさんが、俺以外を見るからで。
だけど、それは違う。
俺は二宮さんが好きで、みょうじさんはそんな俺に付き合っていて。
だから別に、みょうじさんがいなくても、前に戻るだけ。
だから、恋人がいたって構わないわけで。
「それ、は」
恋人、という単語に胸が痛くなる。
わからない。わからない?
犬飼、と呼びかけてくれる二宮さんの顔を思い浮かべてみた。
同じく、犬飼、と呼ぶみょうじさんの顔を。俺が欲しかったのは。
『犬飼』
突然、目の前が一気に開けたような錯覚に陥る。
そして、ようやく合点がいった。
「お、れが……、……俺が、みょうじさんのこと、……好きだからです」
口に出してみたら、すとんとその気持ちは胸のどこかに収まった。
俺が泣いていたら頭をなでてくれて、悪態をつきつつ勉強を見てくれて、風邪をひいたら少しかわいくて。
いくつものみょうじさんの顔を知っている。
その中にはきっと二宮さんの知らない顔もある。だから、俺の知らない顔を、知らない女に見せるのが、悔しかった。
ようやくか、と二宮さんは心底呆れたようにため息をつき、机の上に置いてあった紙の束を俺に渡した。見ると、大学の授業で使ったプリントのようだ。
きちんと四隅を揃えて、クリップで留めてあるところがこの人らしい。
「行ったはいいが、渡すのを忘れてな。今から行って届けろ。ついでに、もろもろすっきりさせて来い」
「え、俺がですか!? 今から!?」
「文句あんのか?」
「い、いえ、ないですけど……でも」
言いよどんだ俺を見て、二宮さんの眉間が痙攣する。ああ、こりゃキレてるな。
「まさか、合わせる顔がないとか言うんじゃないだろうな」
二宮さんの指がせわしなく机をたたいている。今口答えをしたら、絶対怒る。
それでも言わずにはおれなかった。
「そりゃ、そうでしょ……。あんだけ殴っといて、好きだから許してなんて、さすがに言えないですよ。それとも二宮さんは、こんなんで言えるんですか?」
「お前らは本当、面倒だな。……いいか、よく聞け」
がっしりと俺の頭を掴んで力をこめながら、青筋をたてた二宮さんが凄む。怖い。
「みょうじはな、基本的に小説のネタになりゃ、後はどうでもいいとか言いやがる欠陥人間だ」
「け、欠陥人間……」
「人間関係だって、こじれたらそのまま修復の努力なんかしやしない。そいつが、お前をどうして怒らせたのか気にして、代わりに謝罪の言葉を伝えるよう、俺に頭を下げたんだぞ。その意味をお前の残念な頭でよく考えてみろ」
乱暴に頭を離し、二宮さんは再び椅子に体を沈めた。
ぎろりと睨みつけられ、思わず背筋が伸びる。
俺は手元のプリント群に目を落として、少しだけ悩んで。
あわただしく鞄を肩にかけ、作戦室を駆け足で後にした。
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