1.マイペースすぎる


4月から、大学生になった。
授業は必修を当てはめてから自由に選択できるものを選び、それぞれの初回ガイダンスを受けてから、履修するか決めるという形だ。

朝早く、俺は1限目の教室へ行く前に、校内の書店へ向かうことにした。

というのも、高校1年生の時から読んでいた小説家の新刊が発売されるからだ。少し前からだんだん売れ出して、最近処女作の映画化も決まったらしい。

時間が早いからか、まだあまり人のいない書店で、目当てのものを探す。
すぐに本日発売、のポップがかざられた書籍を見つけて、俺は一番上の本を取った。そっけない明朝体で書かれたタイトルに、小さく添えられた著者名、「森嶋なまえ」。

この作家は、全くと言ってメディアに露出しない。
売れ出した時も今も、一貫して雑誌やテレビに顔を出すことはないし、年齢性別全て非公開。
作品の幅の広さと、その露出の少なさがあいまって、数人が同じペンネームを名乗っているのではないかとすら言われている人物だ。

今回は前回のコメディとがらりと変わって、ホラーものらしい。あらすじにざっと目を通してから、俺はレジに向かった。




1限目はさらりと受けて、次は2限目。
早めに席を見つけて、講義が始まるまで新刊を読もうと思っていたのに。

「…………」

わいわいとにぎやかな教室には、空いている席など見当たらない。
どうやら人気のある講義らしく、席はぎゅうぎゅうに詰まっているし、空いている席には鞄やらの荷物が積まれている。

立って聞くのだけを回避できればそれでいいのだが、どこかないものか。

もう一度あたりを見回すと、一番後ろの席にぽかりと一つ空いた席が見えた。

近寄ってみると、眼鏡をかけた男子学生が、端から一つあけて座っているようだった。
人がいれば仕方ないが、とりあえず、聞いてみるか。

「悪い。隣空いてるか?」
「あ? ああ、どうぞ」

声をかけると、何やらパソコンで作業していた彼は目だけをこちらに向け、それだけ答えた。隣に腰を下ろし、ノートと筆記用具を取り出す。それから買ったばかりの本を取り出してその上に重ねると、男子学生は小さく「あ」とつぶやいた。

「なんだ?」
「いや、なんでもない」
「? そうか」

そいつは少し考えこむようなそぶりを見せた後、再びパソコンに向かう。
手元をまったく見ずに画面だけを見て打ち込んでいる。素晴らしい速さで文字が羅列されていくのをちらりと見てから、俺も本を開いた。

10数ページほど読んだところで、教室の前のドアから教員が現れる。
続きが気になるところではあったが、俺はおとなしく本を閉じ、机の端に置いた。隣はパソコンを閉じず、まだ続けている。

どうやら、前に座った男の体格がいいので前からは見えないらしい。

「今期の担当を務めさせていただきます、――と……」

お決まりの自己紹介をした後、教員がスライドで講義の内容を説明していく。
大抵はガイダンスだけで終了なのだが、この講義はさわりだけ初回にやるらしい。

ノートを開いて、スライドの内容をまとめながら書き写していたら、ふと気が付いた。

隣の男子学生が、首を伸ばしている。目がチベットスナギツネのように細められていて、一瞬、何をしているのかと戸惑った。だがすぐに、スライドが見えないのだと気が付く。

眼鏡をかけるくらいだから、視力はよくないのだろう。

ため息をついて、机を指で叩く。彼は無表情のまま振り向いた。

「ん」
「ん?」

ノートを差し出すと、少しだけ固まったが、すぐに俺の意図に気が付いた。
そいつは頭を下げて、新しい文書、とタイトルがついたワードに板書の内容を書き込んでいく。あっという間に最後まで書き終えると、彼は俺のノートをこちらへ押し返した。

「すまん、助かった」
「別にいい。……というか、見えないなら前に座ったらどうだ」
小声で会話する。どうせざわざわとうるさいからそんな必要もないのだが。

俺の言葉に、そいつはあっけらかんと答えた。

「だって前座ったら、パソコンやってるのバレるだろ」

堂々と言われ、一瞬、そうかならば仕方ないなと納得しかけた。
だがすぐに、いやそんな道理はなかったと思い出す。

「……やらないという選択肢は?」
「締め切りに間に合わない」

何のだ。

問い詰めたい気もしたが、再びスライドが変わったので、それはあきらめた。

結局授業の間中、そいつはパソコンのキーを叩き続け、俺はなぜかそんな彼に板書の内容を見せる、ということを繰り返した。
その日は通常の終了時間より少し早く終わり、いちはやく道具を片づけた学生たちがこぞって教室を出ていく。
そういえば、もう昼だ。

学食は混むしどうするか、と自分のノートと筆箱を片づけていたら、隣もようやくパソコンを閉じた。
それから俺に向き直ると、また頭を下げる。

「すまん、本当に助かった」
「いや、別にいい。眼鏡、度合ってないのか?」
「今朝壊れてな。授業ないだろうし、古いのでいいかと思ったんだけど」
「予測に反して、というわけか。……素直に前に座ったらどうだ?」
「パソコン見つかるのは嫌だし。あと前って唾とか飛んできそうで嫌だ」
「…………」

そう言われてみると、確かに嫌かもしれない。
なんというか、言葉に妙に説得力がある奴だ。

薄型のノートパソコンをケースにしまい、そいつはそうだ、とつぶやいた。

「せっかくだし、昼奢るよ。予定あるか?」
「特にはないが……混むだろう?」
「見学に来たとき、茶店見つけたんだ。飯もメニューは少ないけどうまいし。どうだ?」
「わかった、そこにしよう」

立ち上がったそいつに合わせ、俺も鞄を肩にかけて立ち上がる。教室には、もうほとんど人が残っていなかった。
教室を出て、階段を降りているところで、はたと気が付く。

「おい」
「何だ?」
「今更だが……俺は1年の二宮だ。お前は?」

なんだか間抜けな気もするが、きちんとしておかなければ気持ちが悪い。
そういえば言ってなかったなと、妙なところで納得しながら、そいつは振り向いた。

「俺はみょうじ。同じく1年。よろしくな、二宮」

これが、俺とみょうじが最初に話した日だった。



「確かにうまいな、ここは。静かだしいい場所だ」
「だろ」
「……ただ、名前が……」
「ああ。……『恕是不意ー奴(じょぜふぃーぬ)』っていうらしい……」
「……人が来ない理由、十中八九はそれだな」

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