「ばかだな、ほんとうに」


みょうじはまた風邪をひいたらしい。

講義に代わりに出ろだの、プリントを代わりにもらって来いだのと、人をパシリかなにかと勘違いしているのではないかと思うほど、色々な用事を言いつけてくる。
防衛任務もあり、さすがに俺一人ではさばけないので、堤や来馬、太刀川(レポート一つを引き受ける代わりに)、加古にも手伝わせた。

結局、一週間まるまるみょうじは休み、俺はプリントやノートを届けるために、週末、何度か来たことのある彼の家に訪れていた。

「……で、なんでお前らまで来るんだ」
「いや、さすがに心配になってな。みょうじ、こんなに長いこと休むなんてなかっただろ?」
「俺はあわよくばレポートを頼もうかと」
「太刀川、お前今すぐ帰れ」

冗談だと笑っているが、鞄からはみ出たレポート用紙がごまかせていない。苦笑いする堤とともにため息をついて、インターホンを押す。
少し経ってから、普段と変わらないみょうじの声がした。

『はい』
「二宮だ。プリントもろもろ届けに来たぞ」
「みょうじ、レポートやってくれ」
「コラ太刀川」
「……余計なおまけもあるが、いるか?」

おまけとはなんだと不満げな太刀川を無視し、みょうじに尋ねる。
しかし、みょうじは答えずに黙り込んだ。

いつもは、別に構わないだとかいらないだとか言いつつも、すぐにドアを開けるのに。
やがて、なんだかきまり悪そうな声がインターホンの向こうから戻ってきた。

『悪い。二宮、ちょっといいか』
「俺?」
「みょうじ、何かあったのか?」
『堤か。後でワケは話すから、太刀川連れて、今日は引き取ってくれ』
「あ、ああ、わかった。行こう、太刀川」
「ちょっ、待ってくれ! 俺はまだレポートが!」
「自分でやんなさい!」

ガタイのいい堤に引きずられ、レポート用紙をポストに投函しようとしていた太刀川が連れていかれる。
見えなくなるまで見送ってから、再びインターホンに話しかけた。

「行ったぞ」
『ああ。今開ける』

ぷつんと会話が切れる。ドアの向こうでなにやら動く物音がして、ようやく開かれる。

だが、出てきた彼の顔を見て、俺は目をむいた。

「みょうじ、お前っ……どうしたんだ、その怪我!」
「あー、まあ色々。とりあえず上がれ。部屋は大丈夫だから」

目の周りには青々とした鬱血痕。
額にはガーゼが貼られ、はみ出た赤い傷が見えた。唇の右端から顎にかけての大きな痣もあった。何より目を引くのは、首に残る手のような痕。誰かにしめられたかのように。

唖然としながらも、言われた通り家の中に入る。
家の中は確かにきれいだったが、壁に赤黒いものが飛んでいるのが見えた。

リビングへ案内され、俺はみょうじの向かいに座った。

「それで、何があった? 学校に来なかったのも、それが原因だな?」
「まあ。こんなんで行ったら目立って仕方ないしな」
「だろうな。いいから早く話せ。誰の仕業だ」
「…………」

みょうじ、と凄むと、彼はため息をついて、胸のポケットからタバコを取り出した。
漂う匂いは、いつからか林から消えたものだった。

しばらく黙って煙を吸い、みょうじはようやく、あきらめたように言った。

「……犬飼」
「は? ……犬飼!?」

頭の中に、部下の顔を思い浮かべる。
信じられない。いつだったか本部で会った時は、仲がよさそうだったというのに。

だが、みょうじはそんなくだらない嘘はつかない。
しかし、犬飼だって、理由なく人を殴るような人間ではないはずだ。

「……どういうことなんだ?」
「……前にさ、恋愛関係のトラブルに巻き込まれたって話したの、覚えてるか」
「ああ。……まさか」
「犬飼のことだ。……これを言うと反則臭くて嫌なんだが、犬飼が好きなのは、二宮なんだ」
「……な……。……俺らは、男だぞ?」
「そういう性癖のやつだっているだろ。犬飼はそうらしいし」
「みょうじは?」
「俺はノーマル。の、はず」

先入観が大敵、とも話していたことを、今思い出す。
恋愛関係のトラブル、と聞いていたから、自然に女のことだと思っていた。だが、実はそうではなかったのか。

もしあそこで俺が気づいていればと後悔したが、それよりも気になることがある。

「ちょっと待て、それ以前に、どうしてそれがお前の怪我に繋がるんだ!」
「最後まで聞けよ。三分の一くらいはお前のせいでもあるんだぞ」
「俺の?」

聞き捨てならない言葉に反応してしまう。
みょうじは一瞬だけしまった、という顔になったが、再び諦めたような表情を浮かべ、タバコの煙を深く吸い込んだ。

「……まあ、そもそも巻き込まれるきっかけが、俺がお前の友人だったこと」
「…………」
「最初に、二宮が俺の話をするのがムカつくって殴られてな。そこからかなり頻繁に、俺は『二宮』として犬飼と寝てた」
「なんでお前は逃げなかったんだ。俺に言うことだってできただろ」
「逃げたり言ったりしたら、犬飼がなにするかわからなかったんだよ。地雷畑歩いてるみたいな心地だったんだぞ俺は」

何度目かのため息をつくみょうじ。
この分だと、相当ひどかったのだろう。

だけど、犬飼が何をするかわからないと言っても、俺が知ったとなれば、きっとすぐにも暴力は止んだだろう。頭の回転が速いコイツが、それに思い至らないはずがない。

だとしたら、もしや、報われない恋をしている犬飼に同情したとでもいうのか。

人に感情移入することなど、ほとんどなかった彼が。

「……ばかだな、ほんとうに」

何も言えなくて、ただそれだけの悪態をついた。

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