▼風切り羽は切り落とされた



極彩色とは程遠い世界で生きてきた。

視覚に関わるものなら言わずもがな、感情に於いての彩からも隔てられて「それ」は生きてきた。静かな呼吸音とともに椅子の上で滑らかなトゥヘッドを揺らす、そこにいるのはぞっとするほどに美しい一人の子供。
灰色の世界の中、薄く輝いてすらいるようなその美しさは、けれど、子供に通常抱いてしかるべきあどけなさをすべて取り払っているようだった。温度を感じさせない美しさとでも言うのだろうか。広がる殺風景の味気なさがそれを助長する。簡素なベッドが一つ、ぽつんと取り残されたような椅子が一つ、それからノートと鉛筆が一組ずつ。それがこの部屋にあるすべてのもので、それだけ、たったそれだけがそこに住む子供の持っているすべてのものだった。
むき出しのコンクリートの床やつるりとしたガラスで囲われた円錐の壁は強い照明の中にあってなおその寒々しさを際立たせ、大人しく椅子に座ったまま目を瞑るこの子供の静謐さと合わさってまるで時が止まってしまったかのようだ。

少し視点を離してみれば、ガラス越しにその様子を見ている二人の人影がそこにあった。この部屋は二層構造になっているらしく、まず四方をコンクリートの壁が固め、さらにそのなかを円錐形に区切られている形になっている。白衣を羽織った科学者と上背のあるサングラスの男の二人組は、そのガラスの円錐から少し離れたところで中の子供をじっと見つめていた。

「――静かなものだね。」

そのうち白衣の方が顎を擦りながら口を開いた。「静かなものだ。とてもこれ程の騒ぎを引き起こした張本人だとは思えない。」
言うと顎に手を添え、ガラスに囲われた空間を観察する姿勢を隠そうともせずに視線を注ぐ。まるで時の止まったような、いや、ともすれば中のもの全て作り物のような。部屋の作りがなまじ観賞用のケージに似ているため、そんな子供じみた印象ですら妙に生々しい。子供のもつ温度を感じさせない美しさもそれに拍車をかけていた。
白衣の言葉を受け、背の高い男の顔に苦味が走る。
サングラスをかけているために細やかな表情を読み取ることは難しいが、どうやらその感想を諌めるつもりらしい。

「…見た目に騙されてはいけません。少なくとも、ただのいとけない子供であるならここまでの措置は必要なかった」
「勿論分かっているよ。私もこの子をただの子供だと考えているつもりはないかな」
「それなら、よろしいのですが」
「ついでに言うとこれに同情しているつもりもないよ。そもそもさぁ、モルモットに同情しちゃうような人間性があったら、こんなところに――」「―――静かに!」

突然鋭く言葉を遮った男に不審な目を向けた白衣は、隣の男につられるように子供へと目をやって思いもがけずにぎょっと息を飲み込んだ。
深く鮮やかなエメラルドブルーの双眸、子供の無機質なそれがいつの間にかこちらを見返していることに気が付いたのだ。

「………」

ごくりと唾を飲む音は誰のものか。にわかに緊張感漂い始めた空気の中で、それまで人形のような無表情を貫いていた子供がうっそりとした笑みを浮かべる。矮躯に似合わぬ恍惚と嘲弄がそこにあった。
二人が目を逸らせないでいると、そのままその子供は、ゆっくりと他者からも分かりやすいように口を動かし始めた。聞かせるための―否、見せるための動きである。

− モルモット に どうじょう しちゃ うよ うな にんげんせい −

「…!」「…。」

− があったら、こんなところに これな いじゃ ない? −

そこまでゆっくりと動かすと、鋭く、または見開き見つめる二人をせせらわらい、再びその目を閉じる。声なく笑ったその表情は、大人たちが自分の一挙手一投足に過剰な反応を示すことに笑いを押さえきれないといった様子であった。

「…ふーーーっ…」

子供が目を閉じたことで張り詰めた空気が弛緩し、緊張から解放された安堵から白衣が大きく息を吐く。

「……内部に音声は伝わらないんじゃなかったっけ?」
「防音処理は完璧の筈です。…寝たふりをして、こちらの言葉を読んでいたのでしょう」
「読唇術か。ああ怖い怖い」

白衣の男は肩を竦めると、かつん、靴を一つ鳴らしガラスの壁へと背を向けた。背の高い男がその数歩後ろから同じように付き従う。

「博士。もう宜しいのですか」
「うん、もう宜しいよ。籠の鳥も拝見出来たことだし、これからは私もちゃんとそちらに協力する」
「は」
「元々食わず嫌いで参加しなかったようなものだったからね。皮肉なものだね、自分が作ったものに自分の意図とは違う動きを強制されるなんて」
「申し訳ありません」
「別に良いんだよ。それもまた、面白いことだ」

背の高い男の粛々とした様子にくつくつと笑みした人影は、そこで不意に足を止め振り返った。
白く浮かび上がるような子供の姿がそこにある。たまらず、隣へ話しかけた。

「…ねえ、あなたはあの子をどう思う?自分の境遇と重ねて、何か思うことは存在しない?」
「…それは研究の一貫ですか」
「個人的な興味で聞いてるだけ。だから貴方は別に答えなくてもいい。答えて欲しいけど黙っていてもいい。君という一人の生き物は、あれを見て、何を思って、私に何か言いたいことは生まれる?生まれない?」
「……」

はじめて隣の男が言葉を躊躇した。

「…わかりません」
「……そっか。なるほどね」
「申し訳ありません」
「謝ることじゃない。それも立派な意見の一つだよ」

目の前、先程より少し遠い位置に座る子供は人形のように美しく、そして温度を、生をこちらに感じさせない。
もしかしてこれはあの子の出来る唯一の反抗なんだろうか?
思った白衣は自分の感傷的なその考えを一笑に伏し、そして再び踵を返す。

「もうひとつ、皮肉なことに。…失敗例のこの子は、失敗だっていうのに、きっとここにいる誰よりも…能力は素晴らしいね。天才と呼ぶに正しく正しい」
「それだけ、この子供を成熟するまで生かすことに価値が生まれます。金を使う価値はあるでしょう」
「そうだね。その通りだ」

子供一人を指すには大袈裟にも捉えられかねない言葉、しかし白衣の人影はそれを笑い飛ばすことはしなかった。それがけして大袈裟な誇張表現でないことを、この子供に関しての様々な記録が物語っていたからである。
きっとこの子供を生かすために、多くの金や時間、労力が必要だ。そしてそれを外部にけして漏らさないための仕組みを作る必要もある。しかし、それに勝る利が自分にあることも確かなのだ。

やがて二人は部屋を後にする。
目を閉じた子供がそのまま、子供らしく退屈をあらわにした小さな吐息を漏らしたことに、今は誰も気が付いていない。


極彩色とは程遠い世界で生きてきた。そしてこれからもきっと、目にすることは無いのだろう。無彩色の小さな世界、子供は唯一彩りを持つその碧瞳を自ら塞ぎ、これから待ち受ける長い孤独に思いを馳せていた。


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