今日も少年は部屋に帰る。

「お帰りなさい」
「――ただいま。」
 静かな部屋の中、確として響く声にそちらを見ないまま答えて、少年はネクタイを緩める。そのままなれた手つきで制服を脱ぎ捨てると部屋着に着替えて、そこでようやく一息つけたといわんばかりに大きく伸びをした。所属を表す記号として与えられた制服、富裕層の家庭が多く通うそこの制服を羨む視線を度々感じてはいても、少年自身これを良いものだとは到底思えなかった。ただ窮屈なもの。
「疲れてるのね」
「……」
 少年は部屋に一人の少女を匿っていた。
 世界の誰にもその秘密を洩らすことを良しとせず、また少女を匿うにあたりあらゆることにおいて他人の手を借りることを拒否した。
 少年は少年である以上だれかしらなにかしらの大人からの干渉を受けなければ生きて行けはしなかったが、それでも少女に関することだけはすべて自分でやり遂げた。服や食事、風呂や居住の都合不都合、すべてを余すことなく。そもそもが無理のあることであるから、それを維持するために少年も多少無理のある行為に出なければいけなかったが、ことが少女に関する限り少年は労役に関する苦痛からは解放された。
「…そりゃあね。でも君が気にするようなことじゃあない」
 少年は後ろ手に部屋の鍵を締めると、少女の前、軋む音を立てながらベッドに腰を沈ませた。ちらりと目を前に向けると目の前に少女の真摯な目が自分を見つめていることに気が付き、面はゆい心地で目を逸らす。うれしくもあり、恥ずかしくもあり、後ろめたい、複雑な感情のうねり。自分がいつも彼女にしてもらっていることを考えれば、当然のことだと少年は心の底から思っていたので、そんな風に見つめられるのは過ぎた幸せだと感じた。
「ごめんね、私のせいで」
「やめてよ。そも、君をここに押しこめてるのは俺じゃないか」
「それでも私はここを出ていけないもの。ごめんね、私のせいでつかれてるよね」
「だから、………」
 噛み付きかけ、顔を上げた少年ははっといきを飲み込んだ。月明かりが少女の顔を照らしている。
 美しいものとは息苦しいものだ。少年が言葉を飲み込み、胸をつく情動にたまらなくなって目を逸らすと、少女も同じように目を伏せた。
 少女の容姿は大衆的な視点で見て、決して美しいとは言えない。それでもそのあり方はなによりも「自然体」、自分のありのままを世界に見せていて、それが少年をたまらない心地にさせる。薔薇のとげでぎゅうぎゅうに心臓を締めつけられているような苦しさに胸をかき乱され、少年は熱に浮かされた手を伸ばす。少女にではない。自分のような浅ましいものが彼女に触れることは絶対にありえない。ごくりと息をのんだ少年の手は、いつしか不自然な行為に務めはじめる。
 少女の悲しげな、どこか冷たい視線が少年の熱をさらに確かなものにした。
 時折入る着信、その先にある売れた体や媚びた声に感じるものと似たどうしようもない吐き気を催しながらも、それでも少年が手を止めることはない。汚らしい行為だと自覚していながらも、少年は他に他社との関わり方を知らなかったのだ。
「わたしたち…」
「え?」
「私たち、ほんとにこのままでいいのかしら」
「…」
 胸を刺すような言葉になお少年は動作を止めず、むしろどくりと脈打つその程度に拍車をかけたようですらあった。その表情は快楽的というよりはあくまで苦痛的である。少年はいままでそのようにしか愛されたことなく、どれだけ苦しかろうと、愛したいのだと思うからにはそれ以外の方法はしらないのだ。

 翌朝、目にさす光で少年は目を覚ました。窓を少し開いていたため昨晩のような据えた匂いはすでに霧散した後、残されたのは少し冷たい朝の空気だけだ。体を起こし視界に入ったひらひらした衣服に何を覚えたのだろう、少年はただ一つ大きく深くため息をつき自身の頬を両手で叩いた。乾いた音が部屋に響く。
 汗にまみれた服を脱ぎ捨て制服を身に着けていると、いつ目をさましたのか少女の声が少年に届く。
「もう大丈夫?」
「…うん。ありがとう」
「そう。なら、」
 少女がかすかに笑うのが背中越しにも少年にわかった。息苦しく狂いそうな日々の中かすかに呼吸の手助けをすること、これが少女が少年にさしだすもの。そのために少女は少年のもとで匿われ、少年は少女に尽くす。
「いってらっしゃい」

 少年は今日も部屋を出て行く。

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