またあとで
普段日常と思っていることを、よくよく考えてみればそれは偶然が重なっていて初めて成り立っていることであり、決して当たり前ではない。朝がくることとか、今生きていること、とかはあまりにも漠然としていて到底そんな風に考えることはできないけれど。
立花仙蔵という男がいる。わたしの日常のうちのひとつにこの男は含まれていた。いつの間にか。わたしの隣にはほとんどいつも彼がいた。彼の隣は必ずしもわたしだけというわけではなかったが、それでもそばにいることは多かった。一年の頃の合同実習に始まり、わたしと彼の腐れ縁は今に至る。六年生になり、圧倒的に実践の授業が増えた。何回か二人一組での任務も行ったが、何故だか相手は全て仙蔵だった。そして例外になくこの度の任務も彼と組んでいて、今しがたそれを終えて帰るところだった。
お互い、勘は良い方だった。二人一緒に足を止める。暗い小道。月も朧気ですぐ横を歩く顔も見えない。ただにじり寄ってくる殺気は痛いくらいに感じられた。じゃり、と砂の擦れる音が響き、咄嗟に地を蹴って二手に散った。それからはもう一瞬のことのようだった。
肩に何かが突き刺さった。痛くて熱い。頭で理解する間もなく次の痛みが足を掠めた。膝をついたわたしの首のすぐ横を高い唸りを上げた苦無が飛んだ。鈍く月光を反射しながら。
不意にぐいと腕を引かれ、そのまま木の上に引き上げられた。息遣いでそれが仙蔵だと気づくのに少しかかった。荒く短く吐き出される息に肩が揺れている。今まで彼が呼吸を乱したところなんか見たことがなかった。血のにおいが濃いのは彼の怪我が酷いということだろうか。
「…仙蔵」
「…なんだ」
「…足止めするから先に学園に帰って」
「ふ、寝言は寝てから言え名前」
死ぬぞ。彼の薄い唇がつり上がるのを見て、不謹慎だが少し安心した。まだ笑う余裕はあるらしい。追い詰められて、しかも本当に死ぬかもしれない状況で笑うのは彼らしいと言ったら彼らしいのだが。
「そんなに、嬲り殺されたいのか」
「…そうじゃない、ただ」
「…わかっている」
下手に烽も上げられない今、身を隠すことだけが唯一の手段だというのは一目瞭然だった。
「…名前」
「何」
僅かな衣擦れの音が耳に届く。わたしの顔は冷たい制服に押し付けられた。
「仙、蔵」
押し付けた頬に、耳に鼓動が伝わる。仙蔵の生きている音をわたしは聞いた。背中に回された腕が痛いくらいにわたしを引き寄せる。
「何も言ってくれるな」
口布をしたまま、わたしと彼の唇は布越しに一瞬だけ触れた。冷たかった。意地の悪い顔で仙蔵は笑む。
「…なんだ、初めてか」
わたしは知っている。だって勘は良い方なのだ。彼が何を考えているのか、これから何をしようとしているのか。仙蔵の息遣いは苦しげだった。
「いいか…お前は真っ直ぐ学園に帰れ、私が足止めをするから」
「…わたしはくの一だ」
「関係ない…行け、早く」
冷たく一蹴されたら涙が出てきた。悲しいとかそういうのではなくて、ただ感情よりもずっと素直にわたしの心を表していた。
「泣くな」
「嫌だ行かない、行けない」
「馬鹿を言うな、生き延びたかったら、行け」
「わたしはそうまでして生き延びたくはない、自分の為だけには生きられない」
「勘違いするな、私の為に、だ…頼む、行ってくれ名前」
その目から雫が落ちるのを、頬をすべるのをわたしは見た。
「…どうしてそんなにわたしなんかを庇うの」
「そうだな…それはまた後で教えてやろう」
強く背を押され、木の上から投げ出される。傷ついた足をうまく庇って受け身をとり、わたしは走った。振り返ることは許されなかった。ただひたすら走った。けれど走りながら涙が止まらなくて、とうとう足を止めた。道の真ん中で座り込み、ふと首筋に苦無を宛ててはみたけれど。
きっとまだ彼は答えを教えてくれないだろうから、今一度、彼が守ってくれたこの命で、その答えにすがって、生きてみようと思った。そうしてわたしはもう一度走りだした。
 

またあとで 





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