バレンタインデーだというのに特別任務を課された白井黒子は、へとへとになって帰宅した。「だというのに」というのは少し語弊があるかもしれない。バレンタインデーだからこそ、課されたのである。バレンタインデーに浮つき、ハメを外すカップル達は少なくない。風紀委員にとってははた迷惑な日なのである。
愛しのお姉さまにもチョコレートを渡せなかったことであるし。そんな彼女が自室にて見たものとは。

「えへへー黒子おかえりぃー」

ベッドにて乱れた「お姉さま」の姿であった。
寝台の上には色とりどりの洋菓子の箱が散らばり、シーツはくしゃくしゃになってベッドの端に寄せられている。そこまでは許容範囲内だとしよう。しかし、着乱れた服装の端々に垣間見える異常は明らかである。

「お、お姉さま!?どうなされたのですか!?まさか悪い物でも……」
「んー?何ブツブツ言ってるのよぉ。早くここ!ここに来なさいよぅ」

バシバシと叩くは彼女の隣である。何だか様子のおかしい美琴に従わざるを得ない白井は、美琴に近寄ってようやく事を悟った。

「お姉さま、お酒を召されましたわね?」

もちろん、真面目で正義感に溢れる美琴が好んで飲んだわけではないだろう。空になっている多くの箱を観察したところ、贈られた洋菓子のうちに強い洋酒の含まれた物があったのだ。それを何らかの理由で並々ならぬ量を一気に消費した彼女は、酔ってしまったらしい。

(ハッ……これはまさかお姉さまをいただいてしまう一世一代のチャンスなのでは!?)

介抱しなければ、と思いつく理性より先に白井は下心に満ちていた。あわよくば酔って警戒心の薄れた無防備なお姉さまを美味しくいただいてしまおう、と。

「ぐふふふふふ……さあ、お姉さま!いつでも黒子の胸をお貸ししま……って、あら?」
「暑いにゃー。おそと行くぅ」
「お、お姉さま!?窓からダイビングなど危ないですわ!お姉さま!」

今しがた大人しく座っていたと思えば、開け放った窓の縁に足をかけて、今にでも飛び出そうとしている。普段の美琴ならば造作もないことだが、今の彼女はまともに脳が働いていないだろう。そして、大能力者である白井には美琴を止められない。

(だ、誰かお姉さまを止められる方をお呼びしなければ)

美琴には悪いが、この際、誰でもいい。
祈る思いでベッドの端に転がっていた携帯に手を伸ばした。




その頃、とある少年は胃の中を洗浄するために何杯目かになるコーヒーを啜っていた。ゆらり。深海のように深い焦げ茶色の水面に雪色の髪が揺れる。

(クソガキどもが。揃いも揃ってクソ甘ェもン食わせやがって)

少年、一方通行の傍らにも美琴よりは少ないが似たりよったりな箱が転がっていた。それらは全て空になっている。彼が自ら進んで食したのではない。姉妹二人と元研究員の3人の手によって強引に食べさせられたようなものだった。男一人家族だと悲しいかな、こういうことが起こり得るのである。独り身の男性にとっては喉から手が出るほど羨ましいことなのかもしれないが。
今日は散々な日だった。そんなことを振り返っている彼にまたしても不幸な出来事が舞い降りる。

「夜分に申し訳ございませんの」

聞き覚えのない女の声に一方通行が俊敏に反応し、首元のチョーカーに手を伸ばすーー前に、ソファに座っていた一方通行の膝にドサッと何かが落ちてきた。

「あれぇ?一方通行だぁ」
「は、ァ?」

『反射』の発動を寸でのところで止める。その少女の声は少々間延びしているが、聞き覚えがあった。同居している姉妹そっくりの少女。彼女達の姉だ。
そして、いつの間にか姿を現していたツインテールの少女が初対面にしては高圧的な態度でこう言った。

「学園都市第一位の能力を見込んで、折いってお頼みしたいことがございますの」



* * * * * * *




そうして一方通行は一晩、はた迷惑な少女を預かることになってしまった。
当の本人は何も知らずに「うふふー」と幸せそうに笑みを零しながら上機嫌そうである。首が座っておらず、頭がフラフラと揺れていて危なっかしい。胸元も大きく開けていて、スカートも太股が顕になるほど捲れ上がっているというのに、直す素振りもない。普段の凛々しく気高い超能力者第三位の姿は見当たらなかった。

「……はァ」

なぜ自分なのか。まず一方通行は、白井にそれを問うた。恋人でも何でもないのはもちろん、美琴との仲はそれなりに悪い。過去の彼らの因縁を知れば、誰でもそれが当然だと考えるだろう。そして何より美琴が、彼がそばにいることを許さないはずだ。
それとなく美琴が自分を嫌っていることを伝えたというのに年下らしき風紀委員の少女は、

『お姉さまがあなたを嫌っていようと、あなたしかおりませんの。運の悪いことにあの無能力者の方は留守のようですし』

最後に慇懃な一礼をして姿を消した。
一方通行は、このへらへらと笑う少女は守ると決めていない。
だからと言って放っておけるのか。あの小さな少女と瓜二つの顔をした少女を。

「ねぇねぇ。ねぇってばー。聞いてるのぉ?」
「…………」
「聞きなさいよー!」
「あああああ聞くから電気出すンじゃねェ!何だよ」
「えへへぇ、ブラと短パン忘れてきちゃったー」
「……それを知って俺ァどォすりゃいい」

某無能力者の少年が耳に入れれば鼻血でも吹くようなトンデモナイことを口にする酔っ払いの扱いが面倒臭くて、ふと前にもこんなことがあったことを思い出した。

「母親にそっくりだな」
「んー?ママに会ったことあるの?」
「会ったっつゥか、今みたいに絡まれただけだ。向こうは覚えてねェだろ」
「ふぅん」

今の美琴には興味の無い事のようで、すぐに傍らのクッションを抱きしめてむにゃむにゃと言葉にならない何事かを呟いていた。
その姿がやはり郵便ポストに抱きついていた妙齢の女性と重なってしまう。見慣れた色の髪と同じ顔つき、映したものの内側まで見抜いてしまいそうな鳶色の大きな瞳。

「なに見てんのよぅ。あー!どうせ胸だけは違ェなとか思ってるんでしょ。そう!絶対そう!変態!」
「思ってねェよ」
「嘘つき。少しは思ったくせに」

少しの図星を突かれて、ぐ、と押し黙る。番外個体の方がそういう面では似ているのに、とどうでもいいことまで考えてしまっていたのが正直なところだ。

「む、失礼ねー。美琴センセーだってちっさくてもあるんだからね!」
「っ、何しやがっ、」

首を引き寄せられて、何かに顔面から突っ込む。女性の象徴であるそれは嗅ぎ慣れない花のような甘い香りが強く、そして包むまでは足りないが確かに柔らかいものがあった。どこか懐かしいような、落ち着くような、そんな感覚に囚われる。

「うふふ、うふふ、髪さらさら」
「…………オイ」
「もふもふもふもふ、猫みたい。にゃあって言ってみてー」
「言わねェよ。離せ」
「ふにゃー」
「オマエが言ってどォする」

全く離してくれる様子はない。強引に振り払うこともできる。が、何となく今はこれでもいいかとそのまましたいようにさせてやった。猫でも撫でるように美琴の細い指が一方通行の髪を梳いていく。

「……なァ。何で酔うほど食った」
「だってお酒入ってるなんて、」
「そこまでバカな超能力者なンざいねェ。あの風紀委員は間違えたと推測してたが、本当はわざとなンだろ」
「……うん」

ぎゅっとぬいぐるみを抱きかかえるように一方通行の頭を抱きしめる。
美琴があれだけの洋菓子を口にした理由。それは、彼女の想う少年にバレンタインの約束を破られたことだった。当日に会う約束をしていたのだが、補習だとか何だとかで会えなくなったと。それどころか街に出てみれば大量の箱を抱えた彼に出会ってしまい、電撃をぶちかまして帰宅する始末。自己嫌悪とやり場のない怒りで手当たり次第に食べてしまったのだ。

「でももういいのー。二度とやらないんだから!いっつもいっつもアイツは、補習だの何だのぉ」
「あァそォだな、もォいい。さっさと寝ちまえ。それから寝る前に離せ」
「いーやー!もっとネコもふもふするの!」
「クソガキより面倒くせェ」
「むぅ、そんなこと言うとイタズラしちゃうんだから」

美琴は拗ねて突き出したままの唇を、一方通行の耳元に近付けてふーっと息を吹きかけた。酒のせいで匂いの甘く、熱を帯びた吐息。突然の刺激にびくりと肩を跳ねさせた彼の反応を面白がった美琴は懲りるということを知らなかった。

「あはは、一方通行かぁわいい」

これまでは妹達の姉だということに免じて、髪を撫で回されようが、服の裾をぐいぐいと引っ張られようが耐えてきた。
しかし、一方通行は本来、相当に沸点の低い人間である。むしろ今まで、彼が何もアクションを取らないことの方が異常だったのだ。そして、ここに来て「かわいい」のひと言で耐えていたものが崩れ落ちた。

「はは、そォだよなァ。こンなのは俺らしくねェよなァ」

振り回されっぱなしなのは柄じゃない。酔って状況判断能力の欠けている美琴の手首を掴んでぐいっと引き寄せる。これまでも美琴のせいで距離は目鼻が触れるほど近かったが、それはあくまで彼女の意思によるもので。視線が交わった瞬間、美琴の頬が淡く染まった。

「は、はなして」
「あァ?今までの余裕はどこ行ったンだよ。散々、玩具のよォに弄ンでくれたじゃねェか」
「う、あうぅうう」

唇が触れそうになる距離まで近付くと、美琴はきつく目を瞑って長い睫毛を震わせながら唇をきゅっと引き結んでいた。まるで肉食獣に捕食される小動物のようだ。
一方通行は胸のうちに形容し難い感情が湧き上がるのを感じて、だが少女の熱い手首に戯れが過ぎたことを気付かされる。

「さっさと寝ろ」

誰かに触れることなど躊躇っていなければならないはずなのに。ましてやこの少女とは、慣れ合う関係ではない。
頭を冷やすべきだと自室に帰ろうとした彼の服の裾が引かれる。振り返れば美琴が恥ずかしそうに俯いたまま、先よりも顔を火照らせていた。

「あの、ね、一緒に寝たい」
「……一応聞いておくが、添い寝って意味だな?」
「?うん。……だめ?」

意図して、ではないだろう。一方通行の顔色を控え目に窺う上目遣いの表情が、学園都市最強である彼が唯一適わない打ち止めそっくりで。拒めるわけがなかった。
起こしかけていた身体をソファーに戻し(美琴に毛布を投げつけるのも忘れずに)、背もたれと向き合う形で寝転がる。その背に擦り寄る温かいものは、他ならぬ少女だ。

「んふふ、あったかい」

くすくすと小さく笑う雰囲気がする。
この少女に近付きすぎるのは情が湧くようであまり良くないーーだが、否定しながら、ずっと求めていた人肌の温かさを心地良く感じ、そっと目を閉じた。
とろりとろり。甘く穏やかな夜が更けていった。






end.







「む………んぅ?」

少しの頭痛に顔を顰めて、そして視界に映るものを確認していく。
まず、ここは寮ではなかった。どちらかと言えば美琴の実家に近い一般家庭のリビングで、そこのソファーに横たわっているらしかった。
なぜ。記憶を手繰り寄せようとして。

「ーっ!?なっ、なん、」

目覚めようとしていた美琴の脳の活動が止まったようだった。
彼女のお世辞にも大きいとは言えない胸に顔を埋めるようにして眠っている少年。彼を、美琴はよく知っていた。妹達を惨殺してきた憎き敵であり、最近は微妙な立ち位置になってきた彼。

(な、何で!?あ、一方通行と寝てるのよ私!)

何度思い返そうとしても、昨日の夜の記憶がすっぽり抜けている。そして、嫌な感覚だけが頭の中に滑り込んでくる。
胸元がひやりとする一方、やけに少年の温かさが伝わるのは下着を着けていないからだろう。スカートの下も心なしか寂しい気がする。何より無愛想で年中不機嫌な表情を貼り付けている少年が、幾分か幼い寝顔を晒して穏やかに眠っていることが余計に焦りを誘う。

「ちょ、ちょっとあんた、起きて」
「……ン」
「あ、一方通行ってばっ」
「うるせェ……」

美琴を湯たんぽか何かだと勘違いしてるのか、寝惚けていて威厳の欠片もない第一位は心底心地よさそうに二度目の眠りへと落ちて行った。

(え、私たち、なにしたの、え、えっ……!このままどうしろって言うのよバカーッ!)

そうして彼が完全に覚醒するまでのあと一時間弱、美琴はなされるがまま、身動き一つ取れないでじっとしているしかなかった。ほんの少し、滅多に見れないあどけない少年の寝顔に絆されたという事実は心のうちにしまって。

グランマニエの悪戯


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