昼頃から一方通行の脳にはどことなく落ち着かない雰囲気が漂っていた。まるでラジオを一晩中付けたまま眠ってしまった時のような。それが自身に原因があるのではないと彼は知っていた。そして予想通り一時過ぎになって、出掛けていた打ち止めが血相を変えて部屋に飛び込んでくる。
「たいへん、なのっ…あなた!ってミサカはミサ、カは…!」
せっかくの『休暇』だというのに、と独り言ながら杖を取る。どうせまた何処ぞの馬鹿が下らない理由の為に馬鹿騒ぎを起こしているのだろう。
「お姉様が…美琴お姉様が誘拐されちゃったのってミサカはミサカは暴露してみる!」
「はァ?あいつなら大丈夫だろォが」
「そうかもしれないけど……今、ヒーローさんは外国に行ってて、それでもしもって考えると…。お姉様ね、妹を庇ったんだって。だから助けに行って欲しいのってミサカはミサカはお願いしてみる」
無論、打ち止めに頼まれなくとも行くつもりだった。彼は以前、御坂美琴の母親を救ったことがある。それならば当然に彼女も守るべき対象だ。
「…場所は」
「それが…分からないみたい。今からネットワークで、」
「いや、イイ。…オイ海原ァ」
『すみません…銃撃戦になりましたのでそれに応戦していましたら、この様です』
「テメェ何の為にストーカーしてンだ」
『それは勿論、御坂さんに想いを告げようと日々――』
美琴への愛を語り始めた同僚に心底呆れながら、画面に表示されたメールを流し読みしていく。首謀者の割出と場所の特定は仕事の早い同僚によって済まされているらしい。一方通行はそこに行って対象を連れ出す。それが任務だった。
(オリジナル、か)
唯一彼の保護圏から逸している存在で、恐らく御坂遺伝子の中で最も彼を憎んでいると思われる存在。大半は一方通行に好意を抱いている彼女達であるが故に美琴は異分子とも言える。その彼女が一方通行に救出という真似事をされたとしたらどんな反応をするだろうか。
(楽しみだねェ)
玄関の戸を閉めて首もとのチョーカーに手を伸ばした。
目的地に着いて初めにしたことは、腰に差した拳銃を抜くこと、そして様子を窺うことだった。万が一、最悪の事態が起きていれば、抵抗して殴られる蹴られる、果ては殺されることも考えられた為に彼は内心で焦っていた。トリガーを弄ぶ指がそれを如実に表している。が、それは儚くも杞憂に終わる。
「あは、何それ。その程度で私をどうにかしようとしてたわけ?冗談でしょ?ねえ本気出してよ。つまんないじゃない」
血の海、死体、肉片、蛋白質の焦げた鼻を突く臭い。その中に凛と立つ少女は地獄の女神の如く、卑屈な微笑みを貼り付けて罪人を嬲るように扱う。その様子はかつての自分を彷彿とさせた。
「ね、妹達捕まえて何しようとしてたの?教えてよ。まさか私のかわいいかわいいあの子達をオカズにしよう、とか考えてないわよねぇ」
「ひっ」
「うえ、男の啼き声って気持ちわる。もういいやあんた。あきちゃった」
「ま、待て!目的を聞きたくないのか!」
「ごめんねーわたし気が短くって」
『タ イ ム リ ミ ッ ト』
柔らかく弧を描いた唇がそう呟いたとき、びちゃっと気味の悪い音が響いた。美琴はふう、と息を吐き出すと髪を背に流した。
「随分愉しそうじゃねェかオリジナル。あァ、超電磁砲?それとも御坂美琴、の方が良かったかァ?」
「っ、一方通行……」
「俺もナカヨくさせていただけませンかねェ」
常盤台の学生としての仮面を外した彼女は不機嫌そうに舌打ちをする。どうしてこいつが、そんな心境だったのだろう。
彼女としては妹達を殺したから憎んでいる彼に人殺しの現場を見られるのは余り快いものではなかった。彼を否定する理由がなくなってしまうから。
「どうぞご自由に」
「オイオイ、連れねェなァ。ちっとばかし遊ンでくれてもいいンじゃねェの?」
「何が言いたいの」
「なに死体と戯れてンだって聞いてンだよ」
「は?…ああ、あんたもそのタイプか。それじゃあ勘違いされるわよ?まるで私に殺して欲しくない、みたいに、」
「…その通りだ」
バチバチッと少女から紫電が放たれ、主柱や窓ガラスに亀裂が走る。かろうじて生きている残党達が悲鳴を上げたが、一方通行は顔色一つ変えなかった。
「私は止めない。あの子達が危険に晒されるなら人だって殺すし、学園都市をぶち壊したっていい。だから助けなんていらない。それに、あんたに助けられるなら死んだ方がましよ。…次、余計なことしたらその首輪壊して殺してやるから」
そう言って美琴は最後まで彼を見ることなく姿を消した。一方通行の中には彼女の言葉が耳に焼き付くように残った。
(『あんたに助けられるなら死んだ方がまし』、ねェ)
強がりだということは遺伝子レベルで通じる妹達を見てきたから分かる。それまでは計算通りだった。情深い彼女のことだ。許されるとは思っていなかったが、彼はどこかで期待していたのだ。しかし彼女は一方通行の伸ばした手を叩き落とした。それどころかその手を捻り、返す刀で次は殺すとまで警告したのだ。
拒まれたのならば放っておけばいい。死にたいなら死ねばいい。それが彼のセオリーでもあったのだが。
「…なァーンか腹立つンだよなァ。こンな苛立ってンのは久しぶりなンじゃねェの?」
誰に聞こえるでもない独り言を零しながら倉庫の中へと足を進める。何故か気分が高揚して湧き上がった加虐心の捌け口が欲しかった。
その隅で震え上がっていた男の首を掴み上げる。綺麗な白髪と赤い瞳とは対象的な不気味な笑みが男を戦慄させる。
「なァ、焦らされ過ぎてイき損なってンだろ?ひでェよなァ、高ぶらせといて後は放置プレイなンざ正真正銘のドSじゃねェかあの女。あいにく今、俺はかつてないほど機嫌イイからよォ、」
カチリ。男は最期に何かのスイッチが入る音を聞いた。
「最っ高にイかせてやるよ」
血も肉塊も爛れた死体も絶対的な力の後には何も残らない。ただ不幸なことに少年の中にあるコントロールの効かない苛立ちは澱となって沈殿してしまった。程なくして戦場のジオラマを造り上げた彼は、つまンねェ、と零すとポケットの中でブルブルと振動していた携帯を乱暴に開いて通話ボタンを破壊しかねない力で押した。
「センパーイ、倉庫数百戸焼いちまったンですけどォー」
『す、数百って、お前はまた…!…まあいい。御坂美琴は?』
「知るか」
『はーん、さてはアクセラちゃんったらフられちゃったのかにゃー?』
「殺すぞテメェ」
『きゃー、アクセラちゃんこわーい』
弾頭台の材料は何がいいだろうか、とこめかみに青筋を増やしつつも頭を離れない少女のことを考える。打ち止めと同じ顔で、人を殺す少女は関わるなと言った。それがひどく彼の神経を逆撫でる。理由は分からないけれど。
(……可愛いくねェ女)
第七学区のいつもの自販機の前まで来ると少女は立ち止まった。
またやってしまった。自分のしたことは間違ってはいない。この学園都市の中にある闇は誰かを殺さずには消せないと分かっていても、泣き叫びたくなってしまった。そんな時に現れた一人の少年の存在。
(嬉しくなんて、ない。あんなやつ顔も見たくないんだから)
何かを押し殺すように水道水を顔に叩き付けてカランをキュッと捻る。
忘れたかった。殺して欲しくない、などと甘ったれた言葉で惑わす男のことは。それでもあの時、美琴は少しでも、ほんの少しだけでも嬉しいと思ってしまった。
「しらないしらないしらない!あんな人殺しの化け物なんか…!」
水面に映る自らの顔が憎らしくてコンクリートを殴る。全て打ち砕きたかった意思とは裏腹に、手のひらに滲む赤い血と同じように自分のどこか知らないところで何かがどろりと溶け出すのを感じた。猛毒で犯されていく、堕ちていく感覚に少女は絶望した。
心の臓は青酸カリで溶け出した
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1101010
「誘拐された美琴さんを一方さんが助ける」とのリクエストより。
一方さんが美琴さんを守るとなると大好きなグループも出せてしまうので一度で二度美味しいというやつです!