ゴミ箱から拾い上げたチョコレートは、有名なお菓子屋さんのものだった。 最近できたばかりなのに、朝から常連の行列が出来ているらしい。 あまり縁のない場所なのでよくわからないが、買い物に出た際に街の人たちに聞いた。
実際食べてみたが、納得するような味がした。 微妙な感想なのは貧乏舌を自覚しているからだ。デザインでなんとなく高級っぽい味がしたような気がしたが、美味しさのランクはつけられない。
そして、貰ったものを返すべき日が来た。
ホワイトデーと言う日なのだが、よくよく考えてみれば自分の物を何一つ持っていない。 奴隷当然な自分にはお金は勿論、自分のものだといえるものはない。
与えられた部屋にあるものは全てクロコダイルのものだし、食料も衣服も全て。クロコダイルに人生丸々を買われた人間が、なにかをあげることなんて出来ない。
クロコダイルはクロコダイルでバレンタインから特に変わりなくムスッとしているし、当たり前だが女も途絶えることはない。 敢えて変わったことをあげるとしたらくだらない用件であまり呼び出されなくなった、ということぐらいだろう。
「おい」
「はい」
いつものように短く呼ばれて、用件はなにも言われない。 空になったグラスを渡され、当たり前のようにそれに酒を注いで再びクロコダイルの手元に戻した。
部屋にはいつも以上に葉巻の紫煙が立ち込めていて、空気が悪い。窓を開けて空気を入れ換えたいが、クロコダイルの機嫌があまりよくないのでそれは出来そうにない。
「あの」
「なんだ」
「私の気持ちいりますか?」
「……」
色々と考えてはみたのだが結局返せるものが見つからずに、唯一自分のものと言えるものを口にした。のだが、クロコダイルにはその主旨は伝わらなかったのかものすごく不機嫌そうな顔をされた。
こんな薄汚い、しかも女としても微妙な女の気持ちなんて秤にすら掛ける価値はないのだろう。貧乏だったことをこれほど虚しく思ったことはない。
「テメェは買った時から俺のもんだろうが」
「人生はそうですけど気持ちみたいなハートみたいなその……」
何て言えばいいのかはわからないのだが、人が勝手に左右出来ないもの。どんなに強要されても好き勝手にされない意思のようなもののことを言いたかったわけだが、クロコダイルには上手く伝わらなかったようだ。
それどころか寧ろその発言で機嫌を損ねたらしく、眉間のしわがあり得ないほど増えていてあり得ない程の力で葉巻を押し消す。 あり得なさすぎて葉巻が砂になっていた。
「なにが不満だ?待遇か?自由が欲しいのか?」
ぎろりと睨まれて、クロコダイルがおもむろに椅子から立ち上がる。 不穏な空気に少し後ずさると、すぐ隣にあった電気スタンドをクロコダイルが乱暴に掴んだ。 掴まれた電気スタンドは一瞬で砂に変わり、さらさらと床に落ちていった。
「別に自由なんか欲しくないです。私はここでの生活に十分満足してます」
「ならなんの問題もねェだろうが。くだらねぇ」
「ホワイトデーなのでお返しを……しようと思って。すみません」
こんなに話をしたのは買われてから初めてだったかもしれない。クロコダイルが真っ直ぐこちらを見るのも、それをきっちり見返すのも。 いつもは短いやり取りばかりだ。
「……」
沈黙の中で、クロコダイルが新しい葉巻に火を点けて紫煙を吐き出す音が響く。 そしてその空気に堪えかねたクロコダイルが舌打ちでその沈黙を破った。
「俺の名前知ってんのか」
「え?」
「お前が渡せるもんなんてねぇだろうが。名前ぐらい呼んで敬意ぐらい払えって言ってるんだ」
「クロコダイル、さん?」
初めて呼んだ名前は意外にもすんなりと自分の中に入り込んで来た。 ぽつりと呼んだ名前にクロコダイルは一瞥しただけで、特に反応はしなかった。
私がアナタにあげるもの
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