世の中には美人が溢れている。いや、いい男の近くには美人が勝手に寄ってくると言った方が正確かもしれない。

上司であるクロコダイルは、顔は凶悪だし自己中心的な性格だし、金は持っているがなにを考えているのか分からない悪党だ。
ある程度の悪いことには手を染めているし、目の前で人が死のうが血を流して倒れていようが全く動じない程に修羅場を経験してきている。


そんな特に魅力的な男には見えないクロコダイルだが、その悪党っぷりに惚れてやってくる女は少なくない。
クロコダイルもクロコダイルで女を数人侍らせたまま街に出掛けたり飲みに行ったりとヤりたい放題。


「おい、名無し。酒持ってこい」

「はーい…」


ベッドの上から低くしゃがれた声が響いて、昨夜も飲みすぎたことを語っているが、酒を飲むことを止めるなんて権限は名無しにはない。
勿論クロコダイルの隣で寝ている全裸のブロンド美人にもない。


美人は抱かれるのが仕事で、名無しはクロコダイルの命令を聞くのが仕事だ。
その為にオークションで競り落とされた。

聞くところによると、女は性奴隷にされることが多いらしく、ただ雑用として使われることは恵まれていることのようだ。
売り出される前に散々周りに脅されたが、クロコダイルのところに来て少し拍子抜けしてしまったぐらいだ。


「どうぞ」

「もういい。下がってろ」

「はーい」


クロコダイルの声に隣の美人が身動ぎして、名無しの方をちらりと見た。
寝惚けた顔も作ったように綺麗な顔だ。

クロコダイルの言葉に軽くお辞儀をして持ち場である部屋の外に立つ。
それはもう色々と聞こえてくる持ち場だが、意外と自分では気に入っている。


なんと言うか、いい距離感でクロコダイルと居られる位置だと自分では思っている。
呼ばれたときにだけ側にいって世話をするだけ。嫌なところはあまり見えないし、使い捨てられることはない。



「おい」

「はい」


短い意味のない言葉で呼ばれて、見下すような目で見られてもそれはそれで嬉しかったし、特別嫌な気はしない。
自分も他の女同様、クロコダイルに惹かれているんだろう。


「やる」

「……」

「いらねぇのか」


ぶっきらぼうに差し出されたのは高そうな袋に入ったチョコレートだった。
バレンタインらしい、可愛らしい装飾の施されたそのチョコレートは、見るからに貰い物だ。甘いものが好きじゃないクロコダイルに取っては要らないものなんだろうが、人が心を込めて送ったものを図々しく貰えるほど神経は太くない。


「いらないです。甘いものは、あまり……」

「いつも甘いもの食ってるだろうが」


適当に言い訳をしようと思ったが、常日頃の行いが悪いからかすぐにバレた。


「でも、貰えません。そういうのは困ります」


クロコダイルは引く手あまただかあまり思わないのかもしれないが、名無しも想う側だからチョコレートを渡した本人の気持ちはわかる。
あからさまにクロコダイルが顔をしかめたが、それでもそのチョコレートを貰うわけにはいかない。


「俺からの贈り物を断るとはいい度胸してるじゃねぇか」

「すみません」

「いいから黙って貰ってろ」

「無理です」


見るからに怒っているようだったが、こっちだって引くわけにはいかない。
捨てておけという命令なら聞けるが、貰えというのはあまりにも酷だ。


「いいから取っとけ!」

「いりません!」


まさかバレンタインにクロコダイルがわざわざチョコレートを買ってくるなんて誰が思いつくのだろうか。
名無しがそのことに気がついたのはクロコダイルが怒りに任せてチョコレートを捨てた後のことだった。














ゴミ箱行き特急