シックに作り込まれた事務所兼自宅を見上げて名無しは二の足を踏んだ。
しかしまさかこんなところまできて帰るわけにも行かずに震える足を踏み出して、ガラス張りの扉を開く。
シンと静まり返った事務所はクーラーが効きすぎなぐらい効いていて、ぶるりと汗をかいた身体が震えた。

やれクールビズだの節電だの騒がれている世の中だが、どうやらこの事務所には全く関係ないらしい。
構築上ふんだんに太陽の光は取り入れられているのに、何故か煌々と電気はついているし、誰も居ないのにレトロな扇風機まで回っている。


「すみません、14時にお約束していたフーシャタイルの者ですが、どなたかいらっしゃいませんか?」


少し早く来てしまったのかと手首に填めた時計を見る。
今朝時報で合わせたから狂いはないはずだ。


なにか呼び鈴のようなものはないかときょろきょろと辺りを見渡すと、シロクマのぬいぐるみが受付らしきところにちょこんと置いてあった。
なんだか、この寒い部屋によく似合っている。名前はベポと言うらしい。


「なにこれ‥すごく可愛い‥」

頭を撫でるともこもこと妙に落ち着くような手触りで、呼び鈴なんて忘れてひたすら触ってしまった。
そこに一人の男が奥から顔を出す。いかにも不機嫌を全身で表したような目の下にはっきりとした隈を拵えて、そして真っ黒な髪の毛のその男は一目見てトラファルガー・ローだと認識できた。


「あ、あのっ!フーシャタイルの名無しと申します!14時にお約束をさせていただいていたのですが‥」


「あ?そうだったか?もう覚えてねぇ」


ぎろりと不機嫌そうな目が名無しの方を向く。その圧倒的な威圧感に今にも泡を吹いて倒たくなった。
蛇に睨まれた蛙だってきっとここまではない。


「お、お時間をいたっ、頂けたら‥」

「ああ」


どうでも良さそうに名無しを一別したローは、首の骨を鳴らすように肩に手をおいて首を横に倒す。


事務所は、奥らしい。

ならこの妙に広い空間は何のためにあるんだろうか。クーラーをガンガンつけてる意味は何かあるんだろうか。扇風機が誰もいないところに風を送る意味が、あるんだろうか。


「早くしろ、そんなに暇じゃねぇんだ」

「はっ、はいぃ!!」


名残惜しむようにシロクマのベポを見てから名無しはローの背中を追いかけた。






寅に睨まれた鼠




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