そもそも、キッドが気にするほどローは相手にしなかったのかもしれないし、キッドが聞かれたという名無しの話もその場限りのただの話題に過ぎなかったのかも知れない。
本を書架に戻しながら背表紙を一冊一冊確認していく。
小難しい本ばかりで、タイトルからして読む気が失せる。相対性理論なんてタイトルに入っているだけでもう脳みそが拒絶してしまう。
サイズと種類ごとに書架を分けて、その上叩きをかける。
頭の上から降り注ぐ埃にくしゃみが止まらなくなりそうな予感がして、鼻を詰まんで目を閉じながら手を動かした。
朝だけで身体の中まで埃で侵食されてしまいそうだ。
「おいタイル屋、ここが終わったら突き当たりの部屋を片付けとけ。昼までに」
「昼までに…?」
「返事はどうしたタイル屋」
「は、はいっ!」
大急ぎで床に落ちた埃を箒で集めて、持ってきたごみ袋に突っ込む。
だらだら掃除していたつもりはないが、出勤してきて一時間は経っている。それでも部屋は綺麗にはなっていない。
あくまでも本が元の位置に戻り、埃が気持ち無くなったかな程度だ。
相変わらず寒いくらい効きすぎた冷房のせいで汗はかかなくて済んでいるが、いくらなんでも効きすぎだ。
至るところまで冷えた空気が充満しているところからして、24時間フル稼働しているのだろう。他人事なのに電気代を考えてゾッとした。
箒と塵取り、それからはたきとごみ袋を抱えて急いで部屋を移動する。
今この光景を会社の人に見られたら大笑いされるだろう。本職の清掃員もびっくりするぐらい清掃員っぽい。
だいたい雑務をさせるという名目でローの会社に来ているのに、していることと言えば専ら掃除だけだ。
しかも何部屋あるかも知らないが、少なくても覗いていない部屋が3部屋はある。その3部屋も想像を絶するような汚さなんだろう。
「もう帰りたいぃぃっ」
突き当たりの部屋を開けると、自動で電気が点いた。長らく開けられていなかったのか、開けただけで埃が舞う。
予想通り、本や仕事に使われた模型のようなものが文字通り山になっていた。
高すぎてもう電気に届きそうなぐらい上まで積み上げられているが、いったいどうやったらこんなに芸術的に積み上げられるのか。あまりに山が高いので、エベレストを思い出してしまったぐらいだ。
こんなに大きい事務所兼自宅を買えるぐらい金を持っているなら、いっそのことお手伝いさんを雇えば良いのにと思う。
金持ちはケチだからこその金持ちとはよく言ったものだ。
「こんな模型とかどうしたらいいんだろ…」
作りかけで放置されたものから、完成しているが潰れているもの。建築士の仕事なんてたいして知らないので、なにが必要でなにが不要なものなのかさっぱりわからない。
ただ、掃除をする側から言わせて貰えば、この模型が有る限りこの部屋は絶対に片付かない。
そのくらいの割合で模型が占めている。
「あ、これ知ってる!駅前にある商業ビルの模型だ…これローさんが設計してたのか」
今はコンピュータ支援設計なるものが出てきていて、模型を作る建築士はあまりいないと聞いていたが、新鋭のローが模型を作っているのがまた斬新な感じだ。と言っても完成はしておらず、途中で放置されているが。
手に取った模型を色々な角度から眺める。
何度か行ったことがあるビルだからか、内部が脳内再生されてなかなか面白い。
一部違うところがあったりして、またビルに行ったときにこのことを思い出すのだろうとニヤニヤしてしまう。
薄暗く狭い部屋でニヤニヤしていると、わざとらしい咳払いが聞こえてびくりと肩が震えた。
振り返らずとも、咳をした人物はわかっている。
「…お前、目を離すとすぐにサボるな。最初の意気込みはどこにいった?」
「本当に…すみません!今片付けようと…あのえーっと、模型どこにやったらいいですか?」
返す言葉が見つからずに思わず振り返って笑ってみたが、当然ながらローの笑顔は見られることがなかった。
チョロ鼠
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