08
「桜、見に行かねぇ?」
桜の花がギャラリー一面を覆い尽くしているのを見て、サッチは名無しの顔を見て笑った。
「行くなら、人が溢れてるところがいい」
「そうか?俺は人がいないとこでのんびり名無しと桜見てぇけど」
「リハビリする」
「そうかよ」
レンズを念入りに手入れする名無しを見ながら、サッチは笑う。
どっちにしても名無しと一緒に桜を見に行けるなら、人が沸いてようがなんだろうがどっちでも構わない。
どうせなら二人で見たいが、嫌がる顔しなかっただけでも進歩していると実感できるから。
まぁ、食事に誘うと相変わらず即答で断られるが。
「メシぐらいリハビリだと思って付き合ってくれても良いと思うんだけど」
「…」
「そんな露骨に嫌そうな顔すんなよ、俺だって一応傷つくんだぞ」
あからさまに嫌そうな顔をする名無しに手を振って笑うと、珍しく困ったような顔をした。
「別に取って食う訳じゃねぇのに」
無表情に戻る名無しはわかってる、とだけ呟くが、顔がまったく納得のいかないような顔をしている。
そんなに急いでるわけではから別に良いが、此処まで言っても許される仲になったことがちょっと嬉しくて、ついつい言葉にしてしまう。
恨めしそうにこちらを見る名無しすらも可愛くて仕方がないところまで来てしまっている自分が馬鹿馬鹿しいが、嫌いではない。
今までのどんな女とも違う。
多分名無しは人が大好きで大好きで、大好き過ぎて自分の中で人間を美化し過ぎて、それから逸れた人を目撃する度に絶望するのだと思う。
マルコに聞いた話では、最初名無しが写真を売り込みに来た時にはそんなに人嫌いではなかったと言っていた。
ここ5年ほどで一気に人間嫌いに陥ったらしい。
でも実際そんなことはどうだって良くて、何があったかわからないその5年に感謝してるぐらいだ。
それがなければ、多分名無しとは会えなかった気がする。
「あ、仕事戻らねぇとな」
袖から覗く時計に目をやったサッチはこれから回る会社を思いながらため息を吐いた。
離れたくないと重たくなる身体を叱咤して、膝に手をついて立ち上がると、認めたくないが掛け声を掛けてしまった。
「サッチ」
無理矢理立ち上がったサッチの手のひらを名無しの手が掴む。
「分かった、リハビリ」
名無しが一人頷いていたが、そんなことよりも握られた手が気になって。
相変わらず冷たい手が薬指と小指をキュッと握る手が気になって。
何に頷いてるのかとか、
リハビリってなんだとか、
全く脳みそがついて行かない。
「食べるなら、人が溢れてるところがいい」
「え?ああ…もしかしてメシの話?」
名無しの言葉に無意識に手がびくりと動いて握り返してしまった。
そのまま少しずつ指を絡めて、握ると名無しはそれを黙視していた。
「俺お前のこと好きだわ、本当に」
気がついたらそう口にしていたのは、桜の綺麗な季節。