06
ある日、ギャラリーに行ったら閉まっていた。
別に休みではなさそうだが、人の気配はない。
「サッチ」
後ろからした声に振り向くと、一眼レフを手にぶら下げた名無しがいた。
カメラを手にしている名無しを初めて見た。
「お、今帰ってきたのか」
「うん」
鍵を開けながらそう呟く名無しはドアを開けて、サッチを見た。
入らないのか?と言ったような顔でこちらを見る名無しはなんだか可愛くてニヤニヤしそうになってしまう。
野良猫がやっと逃げなくなった時の感覚と似てる。
「なに撮ってきたんだよ、スランプって聞いたけど」
「…人混み」
「人混み?名無しが?珍しいもの撮るんだな」
「うん」
適当に返事をした名無しは奥に入って行く。
客を放置して大切な写真が盗まれたらどうするんだと思うが、多分信用はされてるんだろうと勝手に解釈して、またニヤけそうになった。
「サッチ、帰るときは声掛けて。暗室にいる」
ひょこりと再度顔を出した名無しが無表情で口を開く。
「え?…俺放置?」
「……」
おどけたように言うと、名無しが固まる。
「俺も行って良い?」
とびっきりの営業スマイルで聞くと、名無しは無表情のままだが暫く考えて、軽く頷く。
「…邪魔しないならいい」
そう言って案内することもなく、中からドアに鍵を掛けて奥には入っていった。
置いていかれないようについていくと、窓を真っ黒なカーテンで覆った部屋のドアが半開きになっていて、勝手に入る。
ドアを閉めるとセーフライトの明かりが名無しの手元をうっすらと照らしていて、閉まったドアを確認した名無しはフィルムをなにやら器具で弄って、リールのようなものに巻き付けていく。
染み付いた薬品の臭いが鼻に付くが、名無しにはあまり気にならないらしい。
見たこともない遮光換気扇が静かに空気を吸い込んでいく。
薄暗い明かりの中で作業する名無しを邪魔にならないように正面から眺める。
タンクを打ち付ける名無しはなにやら凄く楽しげで見ているだけで、口許が緩むのが分かった。
こんな顔もするもんなんだと、薬品の並ぶ机に手をついて名無しをひたすら眺めた。
本当は現像はどうやるのか、知りたかったのに気がついたら名無しの顔しか見てなかった。
何をどうしたのかもわからず、名無しは既に水らしきものにフィルムを浸けていて、時計を真剣な顔で見ていた。
それで思い出した。
仕事中だったのを。
とっくに次に行かないと行けない時間だ。
どんだけ名無しの顔を眺めていたんだと、自分を説教してやりたい。
でもまさか今ドアを開けていいかなんて聞けなくて、ポケットの中で震える携帯を無視した、街がチョコレートに染まる月。