重なる面影



わいわいと騒ぐ甲板で、しんみりした空気を吐き出して名無しは膝を抱える。


嫌なことを思い出してしまった。


何度も何度も脳内で繰り返されるのは、最後の最後まで眩しかった兄の顔だ。
瞼の裏に焼き付いて離れない。
匂いも、感触も。
全てが自分を拒絶しているかのように感じて、無性にむしゃくしゃした。



「お疲れー、手伝わせて悪かったな」


「あ、サッチ隊長。いえいえ、いいんですよ。4番隊ですからね、サッチ隊長率いる4番隊なので仕方ないですよ」


「お、う‥なんか今日は一段とピリピリしてんな?もしかして女の子の日?」


「ははは、今日も冗談が過ぎますよサッチ隊長」


両手に酒を持っていたサッチがおどけるように肩を竦ませて、名無しは笑いながら軽く腕を伸ばした。
勿論サッチから酒を受けとる為なんかじゃない。

伸ばされた腕が見る見る内に黒く染まって凹凸が浮かび上がる。
ジジジジッとか細い羽音が一気に響き渡った瞬間にサッチの顔が引きつって、少し後ずさる。


「…それ以上近付いたら、喰らわせますよ。サッチ隊長」



にっこりとサッチご希望の満面の笑みを浮かべた名無しに、サッチは困ったように眉を下げて笑う。
名無しの右腕を形成していた蟲が、威嚇するように羽音を強めてサッチの目の前に黒い壁になって立ち塞がる。



サッチの表情は蟲から伝わるから分かるが、サッチからは名無しの表情は読み取れないはずだ。

こんなつまらない女に構ってなにが楽しいのか理解できない。



近づかないで欲しいのに。
サッチみたいなヤツが一番嫌いだ。
仲間の為なら命を差し出しても構わないみたいな、偽善者っぷりが特に。



「おーい‥蟲が邪魔で近寄れねぇんだけど…」


「本当ですか?それは大変、サッチ隊長は蟲はお嫌いですか?」


「いや嫌いじゃねぇけど、名無しに近寄れねぇだろ?」


「残念ですね、蟲はサッチ隊長の匂いが気に食わないみたいですよ」



害虫と呼ばれるものは、人が快感や至福を感じる匂いを酷く嫌うらしい。
それを考えたら、自分は人間よりも害虫の分類に含まれるんだとなんとなく笑えた。



いや、害虫以下か。
人殺しなんぞと比べたら蟲に失礼だ。



「…なに片意地張ってんだよ、お前」


「別にそういうのじゃないです」


呆れたようなため息が羽音の合間に聞こえて、名無しは少し顔を歪める。

知ったような口を、と言いかけたが止めた。


単なる八つ当たりみたいで、余計気分が悪くなるだけだ。


名無しだって、サッチが妹擬きに命を賭けるなんて本気で言ってる訳じゃないことぐらい頭ではわかってる。



わかってはいるが、
最初に見せた人懐っこい優しい笑顔が、


死に際の兄の顔とダブって、サッチの顔を見る度に手に冷たい感触が蘇ってくる。



「名無しー?ほら酒があるぞー‥美味いぞー?」



相変わらず間抜けな猫なで声を出すサッチに、名無しは聞こえないぐらい小さく舌打ちをして、少し遠くにいるイゾウに向かって叫んだ。



「イゾーっ!サッチ隊長が私を酔い潰して無理矢理抱こうとしてるー!助けてー!」


「え?いや‥ちがっ!違うって!名無しちゃん!そんなことでかい声で叫んだらダメだよ!?」









重なる面影



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