波の唄

「いざとなればサッチ兄さんが死んでもまもってやるから」
 
本当はね、その言葉が泣きそうになるくらい嬉しかったんだ。
 
 
白い天井を見つめること3日。
モビーの医務室は思いのほか居心地がよく、今まで挨拶すらしたことがなかったナースとも仲良くなった。
女性はこんな能力を持った自分とは気味悪がって仲良くしてくれないんじゃないかと思っていたけど、
それはとんでもない偏見で、彼女たちがとても優しい存在であることを知った。
さすが親父の娘たちである。
医務室にいていろんなことを知った。
イゾウやマルコをはじめ、エースも16番隊の家族も、名前も知らないような家族までお見舞いに顔を見に来てくれた。
信じられない気持ちだった。みんな心配したんだぞと無茶するなと怒りながらも笑ってくれた。
遠い昔に望むことすら諦めたことが、現実に起きている。信じられなかった。
自分にそんなことをしてもらう価値などないんだ。そう思っていたから。
戸惑いながらそう口にしたらマルコにため息を吐かれながら拳骨を落とされた。
覇気を纏った拳の、あまりの痛みに思わず涙目になりながらマルコを見上げれば親父にされなかっただけ有難いと思えと偉そうに言われた。
どうやら自分はとっくの昔からこの家族の一員として認められていたらしい。
その事実に恥ずかしいやら嬉しいやら泣きそうになりそうやらなわたしをイゾウがしょうのない妹だねぇと優しい微笑みを浮かべながら頭を撫でてくれた。
そんなこんなでもう一日安静にしていたら隊務に戻っていいと言われた今日。
昼前にエースが様子を見に来てくれた以外特に来訪者もなく、ボーっと思考をめぐらせていたところにちょっといいか?と懐かしい声がかけられた。
 
「サッチ…」
 
この3日、一度も顔を見せなかったサッチがカーテンを開けて困ったような笑みを浮かべて立っていた。
ベッド脇の丸椅子に腰をかけたサッチを気まずい思いを抱えながら伏し目がちに見つめることしかできない。
最後に顔を合わせたときがアレなだけに非常に顔が見づらい。
それはサッチも同じなのだとこの3日顔を見せに来なかったことで確信していたのに状況が変わってしまった。
 
「…もう、体調はいいのか」
「…う、うん」
 
困ったような笑みを浮かべながらもなお優しい瞳の色で自分を見つめるサッチに思わず閉口する。
体調というか蟲たちが元気なら自分は元気なわけだけれども、それをわざわざ訂正する気はおきない。
サッチこそ怪我を負っていたではないかとこっそり視線を巡らせるも、目立った外傷はないし、いつも通りのサッチがいるだけだ。
記憶にはないがわたしが殴ったらしい顔も無事みたいで少し安心した。
 
「悪かった」
 
その言葉にピクリと肩が反応する。サッチの顔は相変わらず直視できない。
 
「…お前の過去も、気持ちも知らずに無理に気持ちを押しつけるようなことしちまって」
 
その言葉に、頭の芯がひどく冷えていく感覚を覚えた。スーッと気持ちが離れていく。
 
「もう、お前の迷惑になるようなことしねぇから、だから…「サッチ」
 
懇願するような声で、祈るように言葉をつむぐサッチの声を遮った。これは、今までずっと逃げ続けてきたわたしの、罰だ。
すっと短い音を立てて息を吸う。震えそうになる声を喉の奥でそっと吐き出した。
 
「…兄が、いたんです。多分、血の繋がっていた」
 
少し、昔話をします。そう前置きをして、長い長い、わたしの歴史をぽつぽつと語った。
きっと生まれつきの能力者だったこと、兄がずっと守ってくれていたこと、幸せだったこと、たくさん旅をしたこと、
兄を、失ったこと。
 
「わたしにとって、兄は世界の全てでした。だから、世界はわたしのせいで消えたんです。…だから、」
 
守られることが、怖くなったのだと。
何も言わずにサッチはただじっとわたしの話に耳を傾けてくれている。
今までずっと、わたしは今を生きることを拒絶し続けてきたのだと思う。
過去の幸せばかりを求めて、後悔の中で息をしていた。
だけど、今は違う。
昔話はこれで終わり。たくさんの人に教えてもらった。守ることの、本当の意味。わたしの、存在意義。たくさんの、愛。
 
「もう一度やり直そう、サッチ」
 
始まりの、あの言葉から。
 







波の唄



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