君を守りたい




すうすうと静かに寝息を立てる名無しを見つめて2時間ぐらい経った。
疲労が溜まっていたのか沈むように眠る名無しの額からは汗が引いて、顔色も随分よくなっている。
そろそろ夕飯の支度もしないと、とゆっくりとベッドから起き上がると、名無しの手がキュッとスカーフを掴んでいた。


寝ているとこんなにも違うものなのか、名無しの表情は素直で柔らかくて、寂しそうに見えた。
そんな表情をされたんじゃ手を剥がして起き上がるなんて非道なことに思えて、出来ない。


ガリガリと困ったように頭を掻きむしったサッチだったが、握られた手が困ったのを見透かしたようにスカーフから離れて、それもまた何となく虚しい。
男と言う生き物は、なんとも難しいものだ。と一人心の中で呟いてから名無しの頭を撫でて、静かに部屋を後にした。


パタンと空気を吐き出すような音を出した扉とほぼ同時に、ずるずるとサッチは廊下にしゃがみこむ。



「うぇー…気分悪ィ」


目が回ると言うか、へんな浮遊感と言うか、三半規管がイカれてしまったんじゃないかと思うぐらいの気持ちの悪さが一気に沸き上がってくる。
正直立っていられない。


食道が焼けるように熱くて、上ってくる液体を必死に喉の奥へと押し込める。
毎回名無しはこんな感覚に襲われているのかと思うと、あの便利そうな能力も良し悪しだと思う。



「なに人の部下の部屋の前で踞ってんだ?卑猥なこと考えてんじゃねェだろうな?その頭吹っ飛ばすぞ」


「イゾウ‥、いや違うって…これは‥っうぷ」



込み上げてくる吐き気に口元を手で押さえたサッチは唸るだけだったが、イゾウはなにかを感じ取ったのか名無しの部屋に目をやってから小さくあァ、とだけ溢した。


なにも話したわけではないのに納得するようなイゾウは、多分名無しの反動のことを知っているんだと思う。



「なんか巻き込まれたのか?」


「いや、買い物行っただけ」



身体を立て直して、口元を押さえたまま背中を壁に預けたサッチは上を仰ぎ見ながら苦しそうに言葉を吐き出す。



「…道理で。まァ名無しは楽になったんだろ?悪かったな、サッチ」

悪かったな、と言う口ぶりの割には9割は名無しの心配。
なんともイゾウらしいと思った。





体調が回復しないまま頭はグルグル、嗅覚も若干だが狂ってる状態で夕飯の支度を終わらせる。
見張りの隊の分だけなのが唯一の救いだ。


それから名無しの分に消化に良さそうな物を揃えて部屋に運んだが、名無しはサッチがベッドを抜けた状態のまま眠り続けていて、起きる気配は微塵もない。



「なんか悪いことしたな」


もしこの疲労が、買い物や積込にあったのなら、それを見抜けなかった自分のせいだし、体調不良を言い出せない環境に置いてしまったのも自分のせいだ。
頭を撫でてため息を吐くと、名無しの閉じた瞼から涙が落ちた。一粒だけ。
それを見ていたら、胸の奥を締め付けられるような変な感覚がした。



「名無し」


声をかけてもぴくりとも動かず、眠る名無しがまた泣くんじゃないかと心配で、ずっとベッドの脇に座って眺めていた。

窓の外が黒く染まって、それから明るくなっていく。


それに構わず、ずっと名無しの寝顔を眺める。


このまま目覚めなかったらどうしようかと、何回も脈を確認して、それから頭を撫でて。
それの繰り返し。


そんなことを繰り返していたらとうとう夜が明けて、冷えきって固くなった食事を下げて、朝食を用意して、また名無しの部屋に戻る。

自分でも何をそんなに心配しているのか、わからない。
ただ名無しを一人にしたらまた泣くんじゃないかと思うだけで、やりきれない思いに苛まれる。



「……っう、う」


朝食をサイドテーブルに置いた瞬間に名無しの呻き声が耳に入り込んで、ピクピクと助けを求めるように動く左手を掴んだ。

弱々しく握り返してくるその手は冷たくて、歪んだ表情が痛々しい。



「名無し、」


寝ている人間に声を掛けたらいけない。と言う話を聞いたことがある。夢の中から帰ってこなくなるらしい。
でも、そんなこと、他人事だから言える。


妹が苦しそうにしてれば名前ぐらい、呼びたくなる。



「名無し」



左手を握ってそう呟くと、名無しは歪めていた表情を緩めて、ホッとしたようにまた寝息を立て出した。
暫く様子は見たかったが、朝食の支度もあるしそうもいかない。

名無しの頭を撫でて、再び部屋を静かに出た。


久しぶりの完徹だが、疲労よりも何故か安堵の方がずっと大きかった。











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