何故かは知らないが、どうやら名無しはルッチに頗る嫌われているらしい。

諜報員としてはあまり経験はなく、道力も500ちょっとでCP9の中でも最下位。
CP9に抜擢されたのも不思議なぐらいだ。

メンバーから馬鹿にされているネロからも馬鹿にされるぐらい弱いので、嫌われていても仕方がないと割りきってはいるが、やりきれない部分というのも多々ある。


名無しがやることと言えば、潜入前の下調べと当たり障りのない書類の整理、なにか良くないことがあった際にスパンダムに八つ当たりで殴られることだけだ。
簡単に言えば、雑用の雑用。


仕事の充実感から言えば、CP8にいたときの方がよかった。
そもそも自分の力量ぐらい自分でわかっているし、CP9に入れるような実力がないことぐらい理解している。

昇格なのだから断る理由がないと周りが言わなければ、しれっとして断っていた。


そして、毎日毎日、給仕係の手伝いのようなことをしなくてはいけくなったのは、CP9で最も力を持っているロブ・ルッチの命令が下ったからだ。

何度かネロと一緒の諜報員としての仕事が回ってきたのだが、実力不足である理由から外されることになった。これもルッチの一言がきっかけ。


平和で退屈で、生きたまま殺されているような気分になる。
それほどルッチに嫌われているのだ。


そんなルッチと今現在同じ部屋にいるのだが、気まずさが凄い。
暫くは黙って座っていたルッチだったが、名無しの方を一瞥したのを合図に、ずかずかと目の前まで歩いてきて見下すように顎を少し上げて睨み付けてきた。


「なんでお前がここにいる」

「私も来るようにと、言われたからです」


スパンダム長官に、と付け足してみたが、ルッチにはそれは聞こえていないようだった。


「お前を見てるとイライラする。不愉快だ」

「ルッチさんは仕事熱心な方だと聞きました。よもや感情で長官命令を無視されるような方ではないと思っております」


ルッチの視界に入らないようにとなるべく端の壁際にいたのだが、それでも気にくわないらしくわざわざ目の前までやってきて文句を言う。

正直な話、こんな面倒な人間はいない。


ルッチの命令に従えばいいというわけではない。一応スパンダムが名無しの上官であり、スパンダムの許しがなければ勝手な行動を取るのは許されていない。


「俺に意見するな」

「すみません」


不愉快そうに歪められた眉が、いかにもな感じで目を反らしたくなる。
自分の意思でここにいるわけではないと叫びたくなるのを堪えながら後ろで組んでいた手を強く握り締めた。


「今すぐ出ていけ」

「出来ません」

「出ていけ。何度も言わせるな」

「出来ません」


ルッチの言葉を否定したと同時に、ルッチの長い足が壁を蹴った。
鈍い音に続いて、窓枠がガタガタと揺れる。

相当な衝撃だったようだが、壁は表面が少し割れただけで済んだようだ。


脅しのようなその蹴りに、名無しは視線だけを一瞬向けてすぐに戻す。本気で蹴られたら普通に死ぬだろう。
パラパラと壁の表面が崩れる音が聞こえた。


「お前はどれだけ俺をイライラさせれば気が済む」

「自覚はありませんが、もしそうならスパンダム長官に報告しておきます」



なるべく穏便に、ルッチの癇に触れないようにこの場を収めようとしたが、抑揚のない反応が逆に逆撫でしてしまったらしい。
眉間にシワを寄せたと思った瞬間、首を取られて壁に叩きつけられた。


「がは……ッ!」


痛みと衝撃で息が出来ずに、目の前が霞む。
爪先がなんとかぎりぎり床に付くが、吊るされていると言っても過言ではない。


「勘違いするな。お前をCP9に推薦したのはあの馬鹿じゃなく俺だ」


血が止まるような感覚の中で、低い声だけがやけに鮮明に聞こえる。
なににたいして怒っているのか、理解することもできなければ、自分に向けられた言葉の意味すらわからない。


「近くにいれば苛立ちも収まるかと思ったが、近くにいても不愉快だ」

「……っ」


首を掴んで離さないルッチの手にしがみつきながら、少しでも多くの酸素を吸うために顎を上げた。
憎しみに満ちたルッチの目に、不思議と恐怖は感じない。


「俺がお前を」


忌々しげにそう吐き捨てたルッチは、押しつけるように唇を重ねた。
触れた唇は冷たく、なんの感情も読み取ることはできない。


不愉快で見たくもない女にキスをするルッチも、そんな男になんの恐怖も不快感も感じない名無しも。


「存在自体が、邪魔だ」











スフマートで隠された恋心




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