宿は軒並み満室。
商売繁盛なせいか住民達の機嫌がいいように見える。
しかも時刻は既に夕食時。
酒と女を好む海賊が一番金を落とす時間帯だ。
町は活気に溢れており、一人でも多くお客に来てもらう為に必死で呼び込みをしている。
金に不自由していない白ひげ海賊団とは違って名無しなんかは特に重要視されていないらしく、頼んだビールが全く来ない。
何度も店員に言っているにも関わらず、後から来た海賊に優先的にビールが出ていくという理不尽さ。
「すみませんっ、私さっきから」
カウンターの端で勢いよく立ち上がった名無しの言葉が言い終わる前に泡の消えかかったビールが名無しの前に置かれる。
慌てて隣を見ると、そこにいたのは16番隊隊長のイゾウだった。
「ビールだろ?余ってるからやるよ」
「え、あ……ありがとうございます」
もう一度店員に言おうとしていたのだが、出鼻を挫かれてすとんと椅子に腰を下ろした。
女々しいわけではないのだが、どこか物腰が柔らかく見えるイゾウ。
イゾウについては実は名無しもあまり詳しくない。
黒い髪を結い上げているところや着物といったワノ国独特の風貌は目立つのだが、実際どんな人間なのかはあまり耳には届かなかった。
「あれー、真面目ちゃんでもビール飲むんだね」
泡がないビールがあまりにも美味しくなさそうで飲むのを戸惑っていた名無しの顔を覗き込んできたのは、12番隊隊長のハルタ。
あまりにも急に顔を出したので思わず抜刀しそうになったのだが、その手も追いつかないほど気配がなかった。
「アハハ、刀に手かけるのが遅いよ真面目ちゃん」
俺がその気なら首が飛んでたよ、とハルタは今日の天気でも語るように明るく笑うが、名無しの背中には冷や汗が伝った。
「真面目ちゃんって……」
にこにこと笑顔で名無しの頬を突っつくハルタは、ん?と軽く首を傾げてイゾウと名無しの顔を交互に見た。
「真面目ちゃん真面目ちゃんってサッチが言ってたからてっきり真面目ちゃん公認なのかと思ってたけど違うの?」
「さぁな、俺が知ってると思うのか?」
「知らないよね。俺も知らない」
イゾウの顔を見てケラケラ笑うハルタは大分アルコールが入っているらしい。
そんな相手の気配すら読めなかったことがとてつもなくショックで、ただでさえ美味しくなさそうなビールが更に美味しくなかった。