海に浮かぶ大きなクジラ、モビー・ディック。
大所帯だからなのか、特に目的がないからなのか、あまり動くことはない。
それでももし置いていかれたら災難なので、寝るときはモビーにロープをくくりつけて小船が離れてしまわないようにして寝ている。
サッチに軽くあしらわれてから3日が過ぎた。
小船と言ってもモビーに比べたらの話で、長期航海に耐えるぐらいの大きさはあるし、小さいながらも色々と装備は備えている為、まだまだ諦めるつもりはない。
初めから長期戦になるであろうことは予測していたので、水や食料や燃料、その他雑品などのストックはかなりある。
この船の為に退職金と貯金の全てを注ぎ込んだと言っても過言ではない。
「おーい、名無しいるか?」
使用した備品やら食料等を帳簿に書き込んでいた時、遠くの方から声がしてペンをペン立てに戻して帳簿を重ねて引き出しの中にしまいこみ、船の外に出た。
当たり前だがここは海の上で、どこからか声がすると言ったらその発信源は一つしかない。
手のひらで日除けを作りながら上を見上げると、そこにはよく見知ったシルエットを見つけた。
顔は逆光のせいでよく見えなかったが、声とシルエットだけでそれが誰かはすぐにわかった。
「エース」
そう短く名前を呼ぶと、小さな船を覗くように身を乗り出していたエースは躊躇なくモビーから飛び降りた。
炎がゆらりと揺れるようにしなやかに小船に降りてきたエースはまさに舞い降りてきたという表現がぴったり合う。
ポートガス・D・エース。
火拳の名前を持ち、海軍内では色々と話題の事欠かない男だった。
新人の時は暴れるだけ暴れ、一気に名前を売り、王下七武海への誘いを蹴り、四皇の一人である白ひげに喧嘩を売るという前代未聞の事件を起こした張本人。
当時海軍本部では相当な騒ぎになり、見張りが3倍の数に増やされたぐらいだ。
だが、そんな事件を引き起こした本人であるエースは、何があったのかわからないまま白ひげの息子になり現在はある程度行動が抑制されている。
今思えばエースの存在が、名無しの中の正義の意義を揺らしたような気もする。
「名無し、なんか食わせて!」
「え?朝御飯食べたんじゃないの?寝坊でもした?」
エースの突拍子ない言葉に思わず太陽の位置を確認する。
腹が減った、と落ち込むエースは、切なそうにお腹を撫でながらモビー指差した。
「朝飯は食ったんだけど、腹減ってよ。盗み食いしたらサッチに見つかって殴られた」
釣られて上を見上げると、確かにサッチの怒鳴り声が聞こえた。怒られて逃げてきたのだろう。
エースの顔に反省の色はなく、サッチの苦労を何となく悟った。
悪戯好きな弟を持つ兄はさぞかし大変だろう。