名無しには物心ついたときから続けている日課がある。それは日記だ。
ありがちなことだが、誕生日に日記帳を貰ったことをきっかけに書き出したのだが、性格が性格だっただけに止めるタイミングがわからずにかれこれ十数年毎日書いてきていた。
今回怪我をしたため日記帳には書けなかったが、宿にあったザラ紙にちょいちょいと書いていた。
それも今日で二日目になる。
ザラ紙にペンを走らせる姿をサッチは物珍しそうに見るばかりだ。
「あの、そんなに珍しいですか?」
あまりにも見てくるサッチに名無しが我慢できずに口を開く。
視線を感じながら日記を書くのは少し抵抗があるし、無言なのも気になる。
ほんの話題作りのために言った言葉だったが、サッチには上手く伝わらなかったようで、不思議そうな顔をしていた。
「日記を書くところなんて見て楽しいのかな、と思いまして」
「楽しくはねぇけど、文字なんて好んで書くやつもいるのかと思うと、世の中広いって実感するよな」
好き好んで文字を書くヤツの気か知れない、と頭をがしがし掻いて笑ったサッチは煙草をひっくり返してテーブルをコツコツと叩いた。
「好んで書いてるわけじゃないですよ」
ザラ紙からペンを離して、乾ききらないインクに息を吹き掛けた名無しは、更に不思議そうに顔をしかめるサッチの方を見る。
日記をつけておいて、好きで書いているわけではないなんて奇妙な言い分だろう。
「なんていうか、私って基本的に要領が悪いんですよ。だから順序よく教わった通りにしないと人並みに出来ないんですよね。日記も1日を整理するために書いてるんです」
乾かすためにぺらぺらとザラ紙を揺らすと、サッチの目もちらちらと動いた。
「ふーん、そんなもんかね」
「そんなもんです。サッチさんはなんでも器用にこなしそうですよね」
「まぁ不器用じゃねぇけど……」
曖昧に言葉を止めたサッチは、トントンと机を叩いていた煙草をひっくり返してゆっくりと火を点ける。
真っ直ぐ紫煙が上がるのを目で追うと、サッチはため息混じりに紫煙を吐き出した。
「人並みになりたいなんて思ったことねぇし」
あっさりと言われた言葉は、名無しには一生言えそうにない言葉だった。