白雪姫


最終話



「あーあ。もったいないことしたよな、マルコ」

 船の欄干から遠くの水平線を眺めていると、隣に来たエースが茶化すような口ぶりで言った。
 こいつの言うことも一理ある。おれは貴重な千載一遇のチャンスを逃してしまったのかもしれない。

 おれが願い事を伝えた翌朝に、あいつの姿が船から忽然と消えていた。この海のど真ん中で、生身の人間がその身ひとつで船を降りたとは考えにくい。最後まで半信半疑だったが、あいつの言っていたことはどうやら本当のようだ。

「なんでも叶えてくれるなら、他にもいろいろあったのに」
「例えばなんだよい」
「えー……例えば、この世で一番うまい肉とか」
「そうだなァ。もったいないことしたかもな」

*


 おれは最後の願い事で、あいつに名前をつけてやった。

 自由にしてやることも、この船に乗せることも、おれの隣におくことも考えた。しかしあの時あいつの顔を見た瞬間、それはおれのエゴなのではないかと思ってしまった。あいつが今まで感じたことのない恐怖を植え付けてしまったことに、ひどい罪悪感を覚えた。
 救いだったのは、おれが考えた名前を伝えたときにあいつが「変な名前」と言って笑ったことだ。
 それ以上は望まない。自分のためにみっつの願い事のうち、ひとつでも使ってくれる人間がこの世界にいることを知ってくれればそれでいい。
 真っ直ぐな水平線を見つめたまま思いをめぐらせていると、隣にいたエースは「まあ、マルコらしいけど」と、笑って話を結んだ。

 あいつは変と笑い飛ばしたけれどおれが考えた名前は、我ながらあいつによく似合っていると思う。これからは白雪姫なんて馬鹿げた名前を名乗らなくてすむ。
 もう会うことはないだろうが、これから赤いりんごを見るたびおれはあいつを思い出すのだろう。なんとなく、そんな予感がする。

 うろ覚えだった白雪姫のおとぎ話が、自分の中で新しく書き換えられた夢のような出来事だった。


fin.