白雪姫 面倒なことになった。 ふざけた名前を名乗った女は、さらに突拍子もないことを言い出した。 発言どころか、存在自体があやふやに思えてくる。現実離れした生き物や現象を、何度となく目の当たりにしてきたが、女の言動は、そういうものとはまた別な気がした。言うなれば、夢の中の人間と対峙しているような浮游感を、この女からは味わった。 目の前の女は、どこから出したのか、またりんごをかじっている。 「今、なんて……」 「だから、願い事を叶えてあげるって言ったの」 エースとジョズが呆れた顔でこちらを見てきた。おれだってこんな馬鹿みたいな話を真に受けたくはない。 「冗談も大概にしろ。この船に乗り込んだ目的はなんだい?あー…」 「しらゆきひめ」 「……だからなァ」 この女は人の話を聞いているのか。 「名前ないんだもん。どう名乗ったっていいじゃん」 「おまえ名前ないのか……」 この手の話に弱いエースが、女のペースにのまれそうになる。これはまずい。これ以上話をややこしくするな。 「ここがどういう船か知ってて乗ったんだろうな?」 ジョズが間髪を容れずに口を挟んだ。さすがこの男は隙がない。 「知らない。用が済んだら帰るから、そんなこわい顔しないでよ」 女はおれたちから視線を反らし、手にしているりんごをかじった。 「用ってなんだい?」 「この船の人の願い事をみっつ叶えてあげること」 またその話か。 「あとひとつ叶えてあげる。あなたの願い事はなに?」 おれの顔を見据えて、女はしれっと言い放った。今日の晩飯のメニューをたずねるように、ごくごく自然で、軽い調子だ。 あいにくだが、いきなりこんな変な話を聞かされても簡単には信じがたい。出来すぎたうまい話には、おおかた裏があることを、この長い海の生活から学んでいる。 出し抜けに船に乗り込んできた女に、願い事を叶えてくれると言われても、はいそうですかとはいかない。 易々と信じてしまいそうな隣の男に目をやりながら、この状況をどうしたものかと考えているうちに、女の話の矛盾点を発見した。 「あとひとつって言ったよな。叶える願い事はみっつじゃないのかい?」 「ふたつはもう叶えたもん」 「おれは願い事なんざ、叶えてもらった覚えはねェよい」 「あなたじゃない」 女はすっと腕をあげた。その青白く細い人差し指の先にいたのは、 「えっ!おれ?」 驚いた顔をしたエースだった。 「知らねェよ」 女は眉を寄せて、何をいまさらと顔で訴えている。 「3日前の夜に、この人に聞いたらお酒がほしいっていうから、叶えてあげたもん」 たしか3日は、無人島を出航して、夜にはクルー総出で酒盛りをしたはず。 「本当かい、エース」 「そう言われても、酒飲んでるときは記憶ぶっ飛んでるから分かんねェよ」 たしかに、あれだけの大人数でのドンチャン騒ぎだ。誰とどんな話をしたかなんて、いちいち覚えてはいない。 「他には誰に聞いた?」 仮にこの女の言う通り、この船の人間の願い事をすでにふたつ叶えたとするならば、エース以外にあと一人、この女と接触したやつがいるはずだ。 おれの問いかけを聞いた女は、りんごを食べていた手を止め、眉を寄せて黙りこんだ。そのときの様子を思い出しているようだ。 「……たしか、リーゼントの人」 思い当たるクルーは一人しかいない。 「エース!サッチを呼んでこい!」 語気を荒げたおれの言葉を聞いたエースは、弾かれたように駆け出した。 ややこしい事態になる前に片付けるつもりが、話がどんどん複雑でわずらわしくなってきた。なんなんだ一体。 |