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空港の匂いは独特で、あまり好きじゃなかった。大勢の人。誰かがどこかに行き、はたまた誰かが帰ってくる。けたたましいエンジン音、人の声、アナウンス、キャビンアテンダントのヒールの音、「バイバイ」「おかえり」「またね」「気をつけて」「電話するから」「また休みに会おう」「お元気で」「もう行くね」「行ってきまーす」「お土産買ってくるから」「さよなら」たくさんの言葉があふれているのに、横にいる彼女にかけるべきふさわしい言葉を見つけられないまま彼女を連れて行く大きな飛行機を座って見ていた。隣に座る彼女も同じ方向を向いている。

まさか俺が置いていかれる方の立場になるなんて思ってもいなかった。いつも彼女の手をひいていて、俺はそれを役目にすら感じていたのにふと振り返ると彼女は俺とは別の方向に進んでいた。しっかりと、一人で。



「私、ここを離れる」



俺がひいていたのは過去の彼女の幻影だったのだ。そう気づいてから手は力なくぶらりと下がり、足は止まってしまった。俺は何も言えなかった。


行こうと思えば行ける距離だ。だけど彼女は 会いに来てね とも また帰ってくるから とも言わなかった。だから俺からも言わなかった。そうして、彼女に伝えるべき言葉を見つけられないまま宙に手をさまよわせている。

明日から俺の部屋に彼女の柔らかさはない。俺とは違う甘い匂いも、ふわふわの卵焼きも、おかえりもただいまも大好きも愛してるも、俺を呼ぶ声もない。考えただけじゃまだ実感はわいてこないけど、きっと寂しくなるだろう。彼女が恋しくなるだろう。会いたくなるだろう。だけど、お前は?隣にいる彼女は俺をただじっと見つめていて、俺は目線を合わせられずに飛行機を見ている。



「隼人」



お前はどう思ってるんだ?俺になんて言ってほしい?たった一言で俺らは終わるかもしれない。いやもう終わっているのか?彼女を見ないまま、ポケットをまさぐる。



「隼人」



タバコをつかんだ手を彼女はそっと制した。お前を離したくない 離れたくない 行くな どれもありふれた言葉。口にすればお前は俺ににっこり笑いかけて、ゲートをくぐらずにチケットを破り捨て、搭乗アナウンスを背にいつものスーパーで夕飯のおかずを買いに行こうと俺の手を握って、……くれたらいいのに。



「…隼人、ありがとう」



震える声にはっと彼女の方を向くと、それまで触れていた手が離れた。同時に落ちたタバコとライター。いつも禁煙しろとうるさいくせに、タバコを吸っているときにキスをしてくる。苦いだのマズいだの言って、嫌がらせに俺が深いやつをして、笑い合ったことを思い出した。あのときはまだ手を繋いでいた。



110524 chikura





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